種と芽

東京はここのところ暑いくらいの陽気だ。

 

学位申請論文を出した次の日も次の日も、特に休憩することはなくデータ整理をしたり、文章を書いたり、本を読んだりしていた。しかし、今日は、写真家の人と構内を歩き、写す・写される、ということについて考える時間をとった。

 

最近、自分で知りたいことに関し、人を紹介してもらいながらレッスンを受けている。場所は時にはカフェ、時には散歩しながらである。いくつかの領域について勉強をしている。他学部の方に話を聞いたあと、教科書となりそうなものを探してさらに知りたいことを挙げ、また時間をとってもらい質問をしたり議論したりする。やみくもにやっているわけではないけれど、それが研究につながるかは、まだわからない。

 

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先月から始めた学習課題の一つが、「薬を創る」という過程である。薬を創るためには、病気という状態がなぜ起きているのか、そのメカニズムを調べる必要があるということなのだが、そのうち、薬にならないものもたくさんあるということだ。それらを「薬の種」と呼ぶそうである。昨日、聞いていて面白かったのは、薬はたいていは化合物であるけれど、最近では、化合物ではない「薬」というのが考えられており、寧ろ、その方面が昨今の薬学研究としてあついのだという。それは例えば、抗体医薬というものだったり、核酸医薬というのだったりするそうだ。

 

化合物ではない薬、というのは、そもそも効くメカニズムが根本的に違うようである。それが、教育工学の研究や学習に関する心理学的な研究の歴史と非常に似ているように思った。まあそれは当たり前のことなのかもしれないけれど、面白く思った。実は、薬学の教科書を読んでいると教育心理学と似た用語がたくさん出てくる。

 

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今日は来年度の仕事のために、質的研究の本をたくさん読んだ。

それから、大学時代の大切な友達にメールを書いた。彼は今、出版社で編集の仕事をしている。年賀状の返事を書いていなかったのが気になっていた。でも、私には彼との間に、ちょっとした緊張関係を保っておきたいという気持ちがどことなくある。

 

だから、頑張って一区切りつかないと会えないような気がしていた。ようやく、旧友に連絡をとる気になれた。こういう感覚は、どうもFacebookでは駄目だ。

 

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荒野に、新しい芽が息吹きますように。