陽の光

研究のことを考えていると、とても前向きになることができる。

私は非常に豊かな経験をしたのだと、いつも母校に感謝する。多分、生きていくのに必要なことを、私は大学院で学んだ。学ぶことは人を強く、そしてしなやかにする。そういう実感が自分にもあるので、成人学習の研究を進めています、とはっきり言えるようになった。

 

病院(自分)のあと、病院(子供)という予定でいたが、合間で、なぜか大学に来ている。研究費の新規申請でどうしてもPCを使う必要があったからだ。新しい案件に誘っていただいた。勿論、予算が取れなければ始まらないかもしれないが、まあ、構想があるということは次につながるかもしれないわけだし、5年前なら100%誘われなかった案件、自分は着実に成長の機会を掴んでいると思う。

とりあえず出身研究室はとっくに「出て」しまったし、同じ関心、思想的方向性の中で、自分と違うコネクションや方法を持っている人と出逢い、学び取っていかねばならない。そのために、有限な時間の中で、付き合いも働き方も随時見直し、時には大きく変えていかなければならない。

 

気分の波はまだ多いにあるし、苦手なことも多い、そして何より支えなければならない者も居る状態、それでも仕事(研究)だけは進むという不思議がある。これはとても良いことで、自己肯定感が上がっていく。研究職に着くまでの人生を考えると、正直、まともなかたちで、日の当たる場所で働けるとも思っていなかったところがあり、まだ太陽は私に眩しすぎる。ただ、恵まれた環境で仕事ができることを素直に感謝し、それと同時に、自分への期待を強い重責と思わずに過ごせるようなくらいにはなった(適度に期待値を下げることもしている気がするけど)

 

私にとって、大学院や大学という職場は救いだったと言える。これで仕事(研究)が無かったら、人生の楽しみの多くを失ってしまう。この生活はしばらくは維持したいなあとしみじみ思う。

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