帰宅して気づいたら眠ってしまい、こんな時間に目が覚めてしまっているのだが、眠ったことによって体調がよくなった。
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私が自分のこどもを好きだなあと思ったことの一つに、ひとつきまえ、彼が私にかけてくれたこんな言葉がある。
「僕たちはゆっくり大人になっていこうね。」
これを聞いた大人が、「お母さんは私たちよりもずっと大人だよ。」と少し笑って不思議そうに言ったのだけれど、私はすっとこういうことを言う彼がとても好きだ。
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私は今でこそ、一つところで働けているけれど、そんな未来が来ることを、7年前は全く想像できなかった。一つ前の職場は、大学院時代から通っていた学び舎だったので、結局のところ、就職したといっても半分以上は巣立てていないという気持ちだった。恐らく、私を指導してきた先生も、私が巣立てるか、疑問を持っていたのではないかと思う。実際、なによりも、自分が、毎日働けるような人間だと思っていなかった。
私が高機能広汎性発達障害だという診断を受けたのは、7年ほど前になる。こどもに発達障害の恐れがあると言われたおよそ4ヶ月後に、自分にもそのようなものがあると言われた。言われてまず最初に買ったのはこの本。
成人の高機能広汎性発達障害とアスペルガー症候群―社会に生きる彼らの精神行動特性
- 作者: 広沢正孝
- 出版社/メーカー: 医学書院
- 発売日: 2010/11/01
- メディア: 単行本
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聞きなれない言葉だという人が大半だろう。簡単に言えば、アスペルガー等が有名ではあるが、知能が低くない自閉症というグループである。実は、アスペルガーという名称は使わない医師も多くなっており、最近では、このグループの中にも様々な種類があると考えられている。私は、このグループの中でもさらにマイノリティである。何故ならば、この障害を持っている人が男性の方が多いとされていること、加えて、私がアスペルガーとは少し違う傾向だと見られるが何かわからないと言われたことから、仲間が多くなそうだということである。知能が低くないので(あるいは高い場合もあるので)他のケースに比べて見つかりにくいらしい。さらに、私の場合、大学院で教育や認知の研究という特殊な状況化で学習をして過度な適応をしている状況、とある医師からは説明された。その後も何件か診断を受けたが、障害についての見解は概ね似ている。
このことをはっきり書くか、言うかはいつも迷っていた。就職のチャンスを失うかもしれないという恐怖がその筆頭要因だった。隠そうと思っていたこともあるが、まあ、身近にいればわかってしまうことだと思うし、知らないで雇った人が気の毒だとも思うので、言った方が楽な気がしてきた。この障害には、よくないことだけではなくて、とっても良いこともある。他の人と違うことを考えたりやったりできる。だから、私が居るメリットもきっと何処かにはあると、今は思う。
診断を受ける前から、様々な困難とパニックがあって、それは他人との関係においてしばしば問題になっていた。私には何がその状態を起こしているのかわからなかったし、基本的には、自分に問題があるから全てが上手くいかないのだという気持ちと、全てがうまくいっていることこそが美しいのでそうでなければ何の価値もないという妙な完璧主義な気持ちとが相まって、いつも焦っていた。そしてしばしば、自分を責め、生きている意味がわからなくなり自暴自棄になることもあった。しかし、原因がわかると、それについて学べば様々な対処方法がわかっていく。このようなことを書くのは、学ぶことにより、人は変わっていくことができるということを、沢山の人が知ってくれたらいいなと思うからである。
学習することは人を強くするし、人を優しくする。
このスーツケースは、私が大学生のときに初めて自分で買ったスーツケースだ。だから、もう18年一緒に居る。私は、当時の卒論指導をしていた先生が、いつもスーツケースに本を入れて構内を歩き回っていたことに憧れていた。スーツケースを持ってあちこちを飛び回る生活がしたい、そういう「オトナ」のイメージを持った。だから、まずは、初めて大きなお金を稼いだときに、とびきりいいスーツケースを買った。グローブトロッターのもので、当時で7万円したと思う。このモデルはもう生産されていなくて、このメーカーはもう12万円くらい出さないと買えないはずである。もう車輪と鍵がぼろぼろなので、修理に出す必要がある。しかし、修理に出してまた使おうと思う。
今、私は、なりたかった自分になっている。
途中、いろんなことがあったけれど、辻褄は合っている。
途中ずっと一緒に歩く必要なんてなくて、ところどころで顔を合わせられるくらいなのが丁度いい。負け惜しみではない。なぜなら、私は時間がかかるから。私は、ゆっくり生きていこうと思う。だから、ゆっくり私と歩いてくれる君に、とても感謝している。待っているのは私ではなくて、待っているのは君なんだということを、私は知っているし、そのことを私はとても感謝している。