ブラックなワーク

電通社員の痛ましい事件を受けて、少し思い出すことがある。

 

 

以前、発注を受けた仕事で、明らかにこれはブラックなんだろうと思う会社を見た。そこは、中間的に関与している会社だったので、私がそこと取引をしたかったわけではなかったが、入札でその会社と関わることになった。私は細かく仕事内容を決めていたので、そのとおりにやってほしいと思っていた。しかし、担当者は、ものすごく沢山の仕事を掛け持ちしている状態で、みるみるうちに疲弊していった。

 

初対面は某年夏。その若者は意気揚々と、手土産を持って大学に現れ、自分も同じ大学の出身で大学院中退であると話していた。生まれた病院もここなんですと、初めて会った私に話してくるあたり、少しプライドが高いのかなとは思ったが、多少不器用そうなところはあっても清潔感はその時点ではあった。

 

それから半年一緒に仕事をしていく中で、彼は、ズボンのベルトを忘れ下着が見えていて、シャツはよれよれ、髪はぐちゃぐちゃ、ろれつが回らず、納品はミスだらけ、納期は守れず、という状態になった。それでも彼は頑張って、打ち合わせにやってくる。

 

私は、仕事の内容には不満があった。発注元を通じて叱責することも多々あった。しかし、彼自身がとても心配だった。明らかに正常な判断能力を失っていると思った。学歴を誇って、自信にあふれていた彼の様子は無く、打ち上げをすれば泥酔し、会社の愚痴を吐き出して意識を失い、誰かが送って帰ることになった。しばらくして打ち上げへの参加は認められなくなった。

 

心配になって会社の情報を調べたら、様々なかなしい話がネットにあった。担当を交代するか増やすかしてほしいとお願いしていた彼の上司は、ある日突然、連絡がとれなくなった。重病で手術をしたと言う。そしてそのあと、上司は退社した。

 

私は、担当の若者と仕事で関わる最後の折、個人的に彼にメールをした。どうしても辛くなったら、また連絡してきてくださいということをだ。後は、病院に行くこと、転職先を探すことも進めた。でも、彼は、2回目の就職だし、もう少し頑張ってみますと返事をくれた。※表現は非常に難しいが、彼にその仕事への適正があったのかは微妙だと思う。もしかすると彼にはもっと違う仕事があっているのではないかと思うことが頻繁にあった。それは発達障害に関する直観も関係している。問題は非常に複雑だ。彼に必要なのは、頑張ることではなく、休むことだったのではないか。しかし、当時の彼は休むことに怯え、常に親族とも自分を比較し焦っているように見えた。

 

仕事内容が指定と異なっていたのは事実だし、不満だった。彼を責めることでそれを解決することはできない。会社としてやってほしかった。でも、全てが彼に覆い重なっていくわけで、結局私は彼の味方にはなれなかった。母校が一緒だとあんなに嬉しそうに話しかけてきた彼を、私は、仕事を通じてでも、追い込んでしまったのかと思うと気が滅入った。私は彼のことを忘れようと思った。これ以上考えると、私が潰れてしまいそうだと思った。

 

でも、忘れることはできない。

今でも思う。私は彼に何ができたんだろうと。

※友人が鬱になった場合の支援グループとか、関係各所に通報とか、いろんな方法があったのかもしれない。いくつか見てみたけれど、仕事で半年関わっただけの彼にどこまで何をすることがありなのか、彼が働きたいと言っているのだしと躊躇った。

 

さまざまな人のさまざまな苦しみや痛みを、見ても見過ごして、私は今日もただ生きていくだけ。起きている事象は無数で手がつけられないので、やっぱり、根幹にある思想に対して、何かやっていけることを考えたい。何故ならば、私は教育学者であり、研究者だから。

 

働き方について学ぶ、ということを大学の授業の中で意識的にトピックとして扱うのは、こういう悲しい記憶があるからでもある。

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