私の知り合いに、「〜節」はすごいなあ、と言われるひとがいる。

私は、正直それをすごいと思ったことはない。

むろん、彼女はすごい。彼女のなしてきたことはすごい。

 

すごいのは、できていることである。節がすごいのではない。

「〜節」というのは、それを繰り出せる、前の観察眼とそれに至る計り知れない準備がすごいのだ。ね、知っているでしょ、彼女の努力と英知を。

 

私はそう考えている。

だから、節そのものを分析する気がない。節は、努力と英知の結果として、突然そこで振る舞われるものである。

つまり、魔法は術ではなく、いかに魔法にかけていくかという過程なのだと考えているわけである。そういう意味で、きわめて、反教育工学的な考えなのかもしれない。

 

(ことごとく物事にセンスのあるという人たちは、何もセンスがない努力しかない私のことを役に立たない人だと思っているのだろうけれど。私は、一方でそういう人たちのことを大切にしたいと思っている。)