『ハードプロブレム』を観て

ナショナル・シアター・ライブ(NTL)(※)で、『ハードプロブレム』を観てきた。

演劇界最高峰、英国ロイヤル・ナショナル・シアターが、 世界で上演された舞台の中から特に話題となった最高の舞台をこだわりの映像により、映画館で観られるようにしたもの。全世界で上映されている。

 

映画では「恋に落ちたシェイクスピア」でアカデミー賞受賞歴をもつ世界的な劇作家トム・ストッパードの久しぶりの新作舞台。ニコラス・ハイトナーにとってナショナル・シアター芸術監督としては最後の演出作となり、話題を呼んだ。若き心理学研究者ヒラリーは、心理学と生物学が交わる環境で、厄介な疑問と向き合う。その難問は「思考とは何か?」。そしてその問いは、同僚たちと相反する難しい立場へと彼女を追いやる・・・。舞台デザインはトニー賞受賞デザイナーのボブ・クロウリー

www.ntlive.jp

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ナショナル・シアター・ライブを観るようになってから、本当に、イギリスでお芝居を観たいと強く思うようになった。恐らく、現地で観るとその周辺にコミュニティがあり、芝居のことがわかり、もっと面白いんだろうという。シナリオを学びたかったのに、10代20代に映画ばかり観ていたのは本当に片手落ちだったが、一方で日本でお芝居を観て興奮したのは、最近を除けば、ティーンになる前の2回しかない。

 

もっとも、今だからこそ、速い展開のものを観て面白いと思えるのかもしれない。シェイクスピアがこんなに複雑で現代的だなんて思ったことはなかったし、現代演劇の演出方法のダイナミクスに、今はときめくことができる。もっとも、演出に関しては、録画、カット割りのあるNTLでは十分に満喫できているとは言えないが。

一方、NTLの良さは、イントロダクションに、出演者や脚本、演出家のインタビューやメイキングの映像がついており、それを楽しむことができる部分。

先日観た『リア王』においては、認知症に関する知見を主役の演技に反映させているという話があり、『フランケンシュタイン』では博士とフランケンシュタインを入れ替えるというダブルキャストになっている意図が解説される。これは、企画をする人の思考に興味のある私にとっては、ぞくぞくするほど面白いことだ。

本来なら、この興奮を、観た人と一緒に朝まで、いや寧ろ数日経ってからさらに、語り合いたいものなのだが、今の私にはそのような人が居ないのは残念だ。

もしかして、NTLを観ている人がネット上に居て、どこかで私のブログを読んで交流できて、なんてことがあれば面白いのだろうが、実際にはNTLはそこまで多くの人が観ているわけでもないだろう。

 

 

『ハードプロブレム』については、中身に関して考えることも当然ある。

舞台が研究所、主人公も登場人物も研究者か研究所勤めという特有の世界だったので、これは私にとってはのめり込む要素だった。さらに、主人公(X)には生後間もなく手放した13歳の娘がおり、子どもと離れ研究に邁進する彼女を見て、これがシナリオに描かれているということの意味を考えてしまうところもあった。さらに、彼女は自分を指導した生物学者の男性(A)と関係を持っていたり、同僚の後輩研究者の女性の愛(Y)を感じていたりする。

 

 理系学者が少々デフォルメされて描かれている気がして、これがシナリオというものかと思うところもあった。イタリアに学会に行って、そのあと1週間旅行するのを一緒にどうかという認知心理学者の彼女(X)に対し、学会が無いときは何をしていいかわからないので最新の論文を読んでいたいんだという彼(A)、彼はピサの斜塔(敢えて言い間違えるような訳)と管制塔は同じに見えると言ったが、それはちょっと、違和感がある台詞だ。寧ろあれは、売り言葉に買い言葉的な展開なのだろうか。生き別れた娘のために神に毎晩祈る彼女を、科学者としての信念に反する、恥ずかしいと罵る彼。彼と彼女は、複数年に渡り、時折ベッドを共にするのに、口論の連続だ。しかし彼は彼女を求めていることがよくわかる演出だったし、彼女はしばしば彼を受け容れていなかった。

 

実際には、この舞台での困難、難題だったのは、彼と彼女の間にある、主義主張と直観直情的な部分、理性的に論破するに見えて抑えきれぬ感情(それは彼にも見て取れる)、それが、もうひとり、彼女の後輩の中国系女性Y(研究者からトレーダーを経て研究者に戻ったすこぶる優秀という設定)にもあり、そして彼女と彼女のパートナー男性B(これまたすこぶる優秀な、研究者からトレーダーに転職した人)とのやりとりにもあり。2組の男女(AーX、BーY)の間と、共同研究をする女性と女性(XーY)の間に、様々な利己的、利他的が発生しており、それを傍観する狂言回しとして、Xの10代の頃の地元仲間で現在研究所専属ヨガインストラクターのαがいる。

舞台の上に、ひとつの社会がある。十分、困難が描かれていた。よくもまあ、こんなに短くて複雑なシナリオを書くものだと思った。

 

これを映画にすることが可能かと言えば、難しいと言わざるをえない。なぜならば実写動画では、多くの情報を含むので、際立たせたい台詞、役者の演技、表情、セット、にフォーカスが難しい。映画を観ている人はそれ以外の情報を一瞬一瞬で吸い込み処理することになる。映像は全体で何かを伝えるのには向くメディアだが、鋭く差し込むなら、真っ暗な舞台で台詞を読ませる方がずっと効果的だ。だんだん、NTLを沢山観ることで、映画と演劇の違いも感じられてきた。もちろん生の芝居も観たいが、今年は月1本ペースでは観られていない。値段もするので、質の良いものに絞って観ていきたい。

 

いろんなことを考えることができるのは芝居の良さだとも思った。映画よりも、良い意味で隙間がある。そこに私たちは入ることができるんだと思った。映画は、できがったものを完成品として届ける傾向があり(私はそれが嫌だったのでインスタレーションに走ったのだけれど)、そういう意味で、力のある演劇は、しなやかなのだと思った。

あのエンディングでよかったのか、という一点においても、もう一度台詞を読み直したいという気持ちになった。だから、シナリオをKindleで買ってしまった。

 今思っているのは、良い芝居というのは、自分がそこに座っているという感覚すら無くすということだ。そのくらい、会話の中にのめり込み、一体化できるのだということに感激した。

The Hard Problem (English Edition)

The Hard Problem (English Edition)

 

 

www.theguardian.com

 

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