ジャカルタに来た理由

ジャカルタが面白いらしいと5月に聞いて、行こうかなと思ったのは6月である。

ぼくらはまちの探険隊というプロジェクトで知り合ったM2のKが、ジャカルタでワークショップをしようと思っていてそのために1年ジャカルタ留学すると聞いたのだ。

 

その時すぐ思ったのは、Kがいる間にジャカルタに行こう、ということだ。

Kは異国でワークショップを企画する上で何を学ぶのだろう、受け入れ先の研究室(インドネシア大学の建築学部)でどのような教育を受けるのだろう、留学から戻ったあと、元の研究室でどのような修論を書くのだろう。それがそもそもの、私の関心の一つだった。ワークショップ実践者の熟達という観点から研究してきた私にとって、ここまではしごく当然の関心である。

 

そもそもなぜジャカルタに行くのだろう?

 

そこから興味が始まった。調べていくうちに、地球研のプロジェクトの一貫でいろんなことがジャカルタで行われてきたことを知った。

人が集まって住むこと、そのものについて考えるにあたり、ジャカルタは大変示唆に富む土地だった。インドネシアは、国家による社会保障が整っていない、いわゆる小さな政府だ。これを地縁・血縁が相互に助け合いながら支えている。

 

ここまで知って、私の渡航の気持ちは固まった。

なんとか5日を空けてジャカルタに来たのである。今日は密集居住地区(いわゆるスラム、下町)に行ってきた。チキニ地区では1年がかりで、焼け跡に図書館をつくるプロジェクトが行われており、その建物完成を祝う日が本日だった。本は中古含め多く集まっており、これから本棚のデザインが決まる。建物も本棚も椅子も手作りの図書館だ。

 

ジャカルタには本屋が多くない。高級モールには紀伊國屋書店が入ってるが、そのような本屋は下町の人々には心的に遠いようだ。彼らは携帯電話を使いこなす。ツイッターを一番活性的に使っているのはジャカルタの人だとも聞いた。風呂も台所も家の外に向きだしであり、それを共有している狭い狭い居住空間。そこにはたくさんの子どもが住んでいるのだが、彼らの快活さには目を見張った。今日は「晴れ」の日だったからというのもあるだろうが、それだけではない、生命力のようなものを感じざるをえなかった。

インドネシアでは米が年に4回収穫できるらしい。なんと豊かな国だ。

 

ジャカルタの人はお喋りが好きなようだ。それに加えて好奇心と意欲がすごい。子ども達のエネルギーには圧倒される。彼らは自分の住環境をどう思っているんだろうか。スラムの長いすに腰掛けながらKの実践計画を聞いた。私は評価データのとり方や分析の方法について助言をした。きっと、Kは深いワークショップを企画できるだろう。子ども達はそれを大人になっても覚えているのではないかと思う。秋の実践の成果を聞くのが楽しみだ。ささやかながら、私は帰国後にインドネシアに自分の書いた本をKに送る約束をした。

 

ジャカルタの交通渋滞は凄まじく、空は奮迅で濁っている。電車は日本製の古いものが走っている。水には何かすごい塩素が入っているようで髪を洗うときしむ。

それでも、私は街の勢いと誠実さを面白く感じた。また来るような気がする。

 

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税金を払わないので国の保障もないというインドネシアのスタイルは、私が11月に視察で行こうとしているオランダとは対照的だ。オランダでは高齢者住宅や高齢者対象の活動を中心に見に行くつもりだが、そのベースには高額納税、ワークシェアによる勤務時間の少なさ、余暇を地域活動に割くことの自然さがあるようだ。

一方で、集わなくなった教会を、その機能は残しつつもオフィスとしてリノベーションしてしまおうなどという発想は斬新そのもので、さすがは自由で奇抜に見えて合理的な国だと感じられる。

 

オランダは福祉国家として世界的に知られる。しかしながら、今後このままのモデルは継続できないといい宣言が先日国王が訴えたそうである。オランダでも、人が集まって住む住宅とそこでの活動を見たいと思っている。

 

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どうして私が、人が集まることに興味を持っているのか、

そこはまだわからない。きっと、人が集まると学習が起きると思っているのだろう。

もしくは、人が集まったときに起きる、起きてしまう学習、に興味があるのか。