1冊の本から

日記の更新が著しく停滞しているのは、このところ、かなりめまぐるしい移動と予定をこなしているからだ。イタリア出張に来る少し前から、息子の件と仕事の年度末を一気に追い込んで、そのまま、1時間程度の荷造りでMilanoに飛んだ。今はRomaからBolognaに向かう列車の中である。

 

航空会社の選択は重要である。今回、Alitaliaだったので、もはや機内からイタリア感があった。兎に角、乗務員さんは陽気で雑だった。

基本的に、私は陽気でもコミュニカティブでも無いわけだが、雑な人を許容することができる。なんというか、まあ、いいかと思えるのだ。

 

イタリアに来るといろいろなことが適当だが、中にものすごく優秀で頑張っている人に出会う。専門で言うと、教育実践者の熱意は、言語を越えて感じ入るものがあったし、成人教育の学校(CPIA)に来る学生が、目を輝かせ学ぶのに必死な感じは、ジャカルタのスラムに行った時、ワークショップに群がる子どもたちが見せた躍動感を彷彿とさせた。

 

今回、私の旅は1冊の本からスタートした。

その本は、この数十年、イタリアでどのような成人教育の営みがあったかについて書かれたもので、それを日本人が知ることに価値があると書かれていた。しかしその本は残念ながら少し古く、また、高価で、お世辞にも読みやすいとは言えないものだった。何度も読んでいて眠くなった。

 

この本の続きが知りたい。

私はそう思って、わからないなりに、聞いて回って、「現在」にアクセスしようとした。

私はイタリア語をプロパーにしていないし、その本の続きを知ることが直接的に何の役に立つのか、確信は無かった。しかし。今回、10数日を北・中部イタリアで過ごすことで、立体化してくるものがあった。日本に戻ってから調べたいことも以前より明確になった。

実証的研究において「書かれること」は氷山のようなもので、水面下にいろいろな試行錯誤や直観、あるいは運命のようなものが蠢いている。

それを忘れないように、私は歩くことを続けたい。

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