「孤高の博士」という像

賀状を出し続けているのは、主に年長者との関係である。

そうかあ、移動されたのかあとか、もう定年間近なのかとか。自分が修士研究をした時、博士研究をした時に、学会でコメントしてくださった方、廊下で声をかけてくださった方、データを取らせていただいた方。どんどん、消息がわからなくなっていくけれど、そして多くの関係がSNSで代替されているように見えるかもしれないけれど。私にとって、どうしても代替できない関係がある。

 

こういうところに文を書くことも、おこがましくも、未だ見ぬ誰かに、伝えておきたいことがあるからかとも思う。備忘録といいながら、なんとも傲慢である。

 

さて、また数日前の衝撃に戻るわけだが、「学者・博士」が、もし今の子どもたちに憧れられる仕事のひとつなのだとしたら。

www3.nhk.or.j

 

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それについて、誰かが伝えていく必要があるような気がしてしまった。どこで何をしているのか、キャリアも含め、すごく見えない、見えにくい仕事な気がしているからだ。

白衣を着た科学者や、ノーベル賞受賞者だけが、研究を支えているわけではないし、そもそも、「学者・博士」と「研究者」とが、同じことなのかすら、私には説明できない。たまに私は、「学者先生」、と言われて戸惑う…。私の中ではっきりしているのは、「研究者」というのは「研究をする人」というもので、研究とは姿勢のようなものだということだ。

 

非常に難しいこととして、「研究」にはいくつもの領域がある。それは、細分化の一途を辿っているように見えて、同じものを見つめているのかもしれない。私は人文社会学系の研究者であるが、自分の考えていることが理工学系や医学系の研究者と協働しないと解決できないこともあると思う。そもそもこのカテゴライズすら、違うって言われそうでこわいくらい、物事は重なりを持ちながら進んでいる。

 

先日は査読について書いたが、独自のシステムで、論文の査読よりも早く、研究「成果」を共有している領域がある。arXivは、1991年からスタートしたプレプリントを含む最新情報が読めるアーカイブであり、それは当時は衝撃を持って受けとめられたそうだ。現在はコーネル大学が管理をしている。

arXiv.org e-Print archive

 

ただ、プレ・プリントサーバーがあったとしても、査読という仕組み自体は続いている。そして、査読依頼は私のところにもやってくる。私はまだ若手を抜け出したばかりなので、そこまで多くの依頼は無い。でも、来る人にはものすごく査読依頼が来るらしい。

そして、それはしばしば、「また来ちゃった…」となるわけだ。ただ、私は査読が来ることをわりと有り難いことだと思っていて、なぜなら、それは最新の実践や研究を読める可能性だと思っているからだ。勿論、読んで面白いものは正直多くなく、1行目からがっかりすることもある。それでも、私に見てほしいと言ってくださることは光栄だと思う(こう言っていて殺到したらまた辛いし、決して読むのは速くないし、読めないものは読めないけれど)。もし私がすごくいい加減で、そして誰からも信頼されていない研究者なら、査読依頼は来ないと思う。だから、査読が回って来ると、少しほっとする。

 

一方で、先程も書いたように、頭が痛くなるようなものを読むと、この人はどういう指導環境にあったのかなあ、もしくは教育研究について触れる機会が無い人だったのかもしれない、などと思う。そして、研究をしたい人と、研究について学ぶ環境とのマッチングについて考え込んでしまうのである。

 

大人になって、問題意識を持ったり、研究がしたくなったりする人がいるのはわかる。

note.mu

どんな人にも研究することは開かれているとも思う。しかし、職業的「研究者」である(になる?)ためには、いくつかの「掟」「作法」みたいなものがある。

 

厄介なのは、人文社会学だと、「掟」「作法」「価値」が少しずつ違っているということだ。これらは統一されずに、それぞれの「学術領域」の中の「学会」と「運営される学術雑誌」に連動していることが多い。また、それぞれの「学術領域」の中の「学会」の「運営される学術雑誌」には、これをINとし、これをOUTとするという境界と言われている。こういう考え方を、藤垣氏は、「妥当性境界」と呼でいる。 

harinezumi-library.hatenadiary.com

この妥当性境界は、刻々と「学術領域」の中の「学会」の「中のひと」である研究者によって議論され、微妙に変化したり構築されたりしている。だから、昔は研究テーマにならなかったものが新しく「価値がある」とされたり、今まで支持されてきた知見が微妙かも、となったりする。これは、学術雑誌を創刊号から縦読み(面倒なら10年でもまあ良い)すると、実感できるものである。

 

最後に、ここで書いておきたかったことは、「研究者」は、日々、自身の研究を展開し、時に時空を越えて過去の研究者の仕事とも比較しながら、「これが妥当」とか「価値がある」とかを考え議論して進めているので、決して1人では仕事をしていないということだ。1人はみんなのために、みんなは1人のために。それが研究者の仕事、だと私は思っている。

 

これは「学者・博士」という子どもたちの、あるいは一般の人のイメージと、少し違うのではないかと思ったので、ちょっと書いてみた。

 

追伸:

妥当性境界に関連する研究で2つ、とても興味深いものがある。

【1】とある捏造事件から、妥当性境界への議論が生起していく過程を分析した論文。山内保典・岡田猛(2003)「学問コミュニティにおける研究の妥当性境界の構築過程:科学的思考研究の新たな側面とその枠組みの提案」認知科学, 10 (3), 418−435

www.jstage.jst.go.jpk

【2】科学とパトロネージについて、アカデミック・クラウド・ファンディングという視点から考えていく横山広美氏(東京大学)の研究。

Research on patronage of basic science (the difference between science born out of crowd funding and ordinary science, changes in scientific view as seen from society, etc.)

http://db.ipmu.jp/member/personal/5240en.html

 

 

追記:

これはこの記事の続きでもあり、別でもあり。

harinezumi.hatenablog.com

「Educe Cafe」の これまで と これから

先日は研究会のことを書いたのですが、今回はそれよりも前からやっているイベントについてまとめてみました。

「Educe Cafe」 は、私が博士課程の院生だった2007年から開催しているイベントラインで、理事を務めているNPO法人Educe Technologiesの非営利活動の1つです。これまで、31回開催してきたようです。これまでたくさんのゲストの方、参加者の方にお越しいただきました。ありがとうございます。

 

今募集中なのはこちらです!

 

harinezuminomori.net

 

仕事帰りにふらっと寄ってもらえる「カフェ」を志向しているので、基本は平日の夜開催で、定員20人の小規模が良いと思っています。 誰かに言われるからやるのではなく、自分がやりたくなった時にやって、気がつけば10年。今年もゆるゆるやっていこうと思います。私の考えに、文化的活動はどのようにしてsustainableに日常となりうるか、という視点があります。継続が目的化する活動というのは陳腐ですが、継続したい目的があるなら、継続できる方法を考えてのぞむ必要があります。他人の為にする活動は、私にとっては続ける動機が維持できません。私にとっては、実践者としての自分が消耗しないこと、楽しみ続けられることが、sustainabilityに最も近道でした。

 

Educe(エデュース)には、「Education」の語源にあたる言葉で、隠された人の才能を引き出すという意味があるそうです。Educe Cafeは、従来の枠組である「教育」というメガネをちょっとだけ外し、少しトリの眼になって「教育」の周りを見てみようよ、という想いで企画してきました。常に感性に働きかけるような素敵な活動をされている方をゲストとしてお招きし、その話題提供に刺激されて場全体で何かを考えていけるような創発空間にできたら、と思っています。

この人のことを知ってほしい!と思う人をお招きしたり、この人ともっと話してみたい!と思うときに企画とかこつけてお話ししたり、という感じです。

 

企画は基本自分で立ててきましたが、途中何回か、2人の企画者でコラボ企画するというのもやってみました。企画の仕方というのは、勿論自分で試行錯誤するのも大事ですし、経験者と一緒にやっていくのも学ぶ早道だと思っています。どんな人と会いたい?どんな人と話してみたい?というところから、打診計画や広報を考えていくのは、インタビュー調査の計画立案にも似ていて、研究者(志望者)にとっても思考訓練になるかなと思います。

 

当日は、会場設営を学生スタッフの方と一緒にすることにしています。学生の方にとって会費2000円や3000円は決して安くないはず(映画1本より高い)。学生だからお金を気にして参加できないのは勿体無いので、仕事をしていただいたら参加費をいただかないことにしています。毎回、テーマによってささる層が違うみたいで異なった学生の方に出会います。それが、私にとって一期一会の楽しみになっています(勿論、学生の方が希望されれば、その後、Facebook等でつながることもあります)

 

当日は40分程度のトーク+20分のごはん休憩+60分の質疑時間、というのが定番のタイムテーブルです。運営中、私は開始後は開催の挨拶をするのと休憩のアナウンスをするのと、質疑でお客様の質問を促す以外のことをしません。私が喋ってしまうと、他の方が質問できる時間を減らしてしまうので勿体無いと思うからです。私は、皆さんのやりとりを聴きながら、その日の意味をふりかえっている感じで過ごしています。

Educe Cafeでは、お飲み物や軽食もお出ししています。学生の方から大学・企業にお勤めの方まで、その場にいる人みんなが顔見知りになってお帰りいただけるような、アットホームな会づくりを心がけています。飲食物を扱うことで、少し準備コスト(時間・労力)がかかるのですが、それに見合った面白さと独特の居心地よさが、大学のスタジオに立ち上がると思います。願わくば、大学にキッチンがあったら。少し私もその場で手料理をお出ししたいんですけれどね。

 

 

2007年

第1回「大学の新しい学習空間を構想する」

ゲスト:望月俊男(専修大学講師)+山内祐平(東京大学准教授)

http://www.educetech.org/educe_cafe.html

 

第2回「公×民×学 つながりの場のデザインを考える」

ゲスト:北沢猛(東京大学教授)ほか

http://blog.iii.u-tokyo.ac.jp/ylab/2007/12/educe_cafe_1.html

 

第3回「ミュージアムでの学びを支援する教材開発」

ゲスト:橋本優子(宇都宮美術館主任学芸員)・佐藤優香(国立歴史民族博物館助教

http://blog.iii.u-tokyo.ac.jp/ylab/2008/02/educecafe.html

 

第4回「遊び場、学び場の空間づくり」

ゲスト:遠藤幹子(建築家)

http://www.educetech.org/educe_cafe2.html

 

2008年

第5回「美術教育の根拠:初めて食べる(毒)キノコをそれでも食べるために」

http://blog.iii.u-tokyo.ac.jp/ylab/2008/10/_-_-.html

ゲスト:黒沢伸(ミュージアムエデュケーター/金沢湯涌創作の森所長)

 

第6回「美術と身体:毎晩布団を敷くときに怒られた」

榎本寿紀(美術家/ワークショップ・エデュケーター)

http://blog.iii.u-tokyo.ac.jp/ylab/2008/10/_-_-.html

 

2009年

第7回「なぜいま本が愉しいのか?」

ゲスト:幅 允孝(ブックディレクター/BACH(バッハ)代表)

 

第8回「旅する研究室:モバイルメディアを活用したフィールドワークの実践」

ゲスト:加藤文俊(慶應義塾大学環境情報学部准教授)

 

第9回「対話の生まれる『場』のデザイン:三田の家・芝の家の事例を中心に」

ゲスト:坂倉杏介(慶應義塾大学特任講師)+上田伸行(同志社女子大学教授)

 

第10回「『アート』を届ける場所:実践事例『病院』という『街』へ:継続的ワークショップとその後の展開についてー」

ゲスト:ゴウヤスノリ (ワークショップ・プランナー/東京都現代美術館教育普及担当学芸員

 

第11回「研究室の中で学ぶ/研究室の外で学ぶ :いきいきとした研究ができる環境を考える」

ゲスト:豊田丈典 (0to1代表、東京大学 大学院理学系研究科 地球惑星科学専攻 博士課程1年 / 日本学術振興会 特別研究員DC1)+宮野公樹(京都大学工学研究科マイクロエンジニアリング専攻 特任講師)

 

2010年

第12回「遊びごころって、なに?」

ゲスト:大月ヒロ子(有限会社イデア代表取締役/ミュージアムエデュケーションプランナー)

http://blog.iii.u-tokyo.ac.jp/ylab/2009/12/educecafe_1.html

 

第13回「『創発的コロニー』の源泉をたどる旅」

ゲスト:新見隆(武蔵野美術大学芸術文化学科教授/キュレーター)

http://www.educetech.org/educe_cafe9.html

 

2011年

第14回「プレイフルコミュニケーションをデザインする」

ゲスト:塩瀬隆之(京都大学総合博物館准教授)

 

第15回「ヘルシンキで始まったEmotional Journey

ゲスト:大橋裕太郎・大橋香奈(ユタカナ)

http://educetech.blogspot.jp/2011/07/110727educe-cafe817.html

 

2012年

第16回「drinks×school:楽しみながら学ぶためのデザイン」

ゲスト:兼松佳宏(greenz)

http://educetech.blogspot.jp/2012/02/20120201educe-cafe224.html

 

第17回「プロジェクトエディターのしごと」 

ゲスト:紫牟田伸子(プロジェクトエディター/デザインプロデューサー

http://educetech.blogspot.jp/2012/02/2012225-educe-cafe315.html

 

第18回「社会とナンセンスの交差点」

ゲスト:土佐信道明和電機

http://educetech.blogspot.jp/2012/03/2012312-educe-cafe47.html

 

第19回「なぜワークショップ?」

ゲスト:加藤文俊(慶應義塾大学環境情報学部教授)+長岡健(法政大学経営学部教授)

http://educetech.blogspot.jp/2012/06/201267educe-cafe74.html

 

2013年

第20回「未来につなげるためのリフレクション・デザイン」

ゲスト:宮田義郎(中京大学情報理工学部教授)

http://educetech.blogspot.jp/2013/02/2013221educe-cafe319.html

 

第21回「『エンゲキで遊ぶ』をしゃべる」

ゲスト:柏木陽(演劇百貨店代表/演劇家)

http://educetech.blogspot.jp/2013/05/2013514educe-cafe615.html

 

2014年

第22回「ミュージアムにおける経験のデザイン:子ども向けツールの開発プロセス

ゲスト:佐藤優香(東京大学大学院情報学環特任助教

http://harinezuminomori.net/information/656.html

 

2015年

第23回「子どもたちはどこで学ぶのか」

ゲスト:会田大也(ミュージアムエデュケーター)

http://harinezuminomori.net/educe-cafe/831.html

 

第24回「仕掛学:遊び心を問題解決につなげよう」

ゲスト:松村真宏大阪大学経済学研究科准教授)

http://harinezuminomori.net/information/854.html

 

2016年

第25回「学習者の共同体による学習環境の運営」

ゲスト:近藤秀樹 (九州工業大学 学習教育センター助教

http://harinezuminomori.net/information/893.html

 

第26回「北欧の創造性を支える学びのエコシステム:幼稚園児との長い旅から」

ゲスト:上平崇仁

http://harinezuminomori.net/educe-cafe/921.html

 

第27回「『本づくり』で社会に問題提起する方法」

ゲスト:小池みき(フリーライター/漫画家)

http://harinezuminomori.net/information/929.html

 

第28回「子どもたちとアーティストが移動してひらく社会」

ゲスト:中島佑太(アーティスト)

http://harinezuminomori.net/information/956.html

 

第29回「ふたつの職業を噛み合わせるワークスタイル」

ゲスト:坂山毅彦(建築家/書店員)

http://harinezuminomori.net/information/972.html

 

2017年

第30回「記憶と表現、またその掛け合わせから生まれる場づくりついて考えてみる」

ゲスト:アサダワタル(文化活動家/アーティスト)

http://harinezuminomori.net/educe-cafe/1019.html

 

第31回「豊かなパブリック・ライフを生み出す仕組み」

ゲスト:飯田美樹(カフェ文化研究家・東京大学大学院情報学環特任助教

http://harinezuminomori.net/information/1071.html

 

2018年 (予定)

第32回「『デザイン・コンサルティング・ファーム』の仕事」

三浦健次さん(株式会社メタデザイン代表取締役

http://harinezuminomori.net/information/1082.html

 

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(写真は、フランスの哲学カフェの様子。)

査読について思うこと

こんな記事を読んだ。

www3.nhk.or.jp

学者になってどうするの…(そんなに良いかこの仕事)と思ってしまうのと同時に、男女で目指したい夢が違うんだなとも思う。

私は研究者をやっていて楽しい、でも他人には全く勧めない。なぜなら、大変だと思うから。研究者が大学教員をする場合は、研究以外の力量も必要になるので、研究オンリーで行けるポジションかどうかみたいなのもあるけれど。こどもの時に、そういう話をしてくれる人が身近にいるかっていうのもあるけど、まあ、なかなか難しそう。

 

さて、一般の人には理解されにくい仕組みがいくつか研究者にはあると思う。

その一つが「査読」ではないかと思う。

 

査読とは、

学術誌に投稿された学術論文を専門家が読み、その内容を査定すること。(デジタル大辞泉

 

研究者になっていく過程で、私たちは、査読を受ける。そして、だんだんキャリアを積むと、査読をする側にもなる。査読は、ブラインドで行うことが多い(少なくとも私が知る限り)ので、あまり詳細は言えない。知らない誰かのを、知らない誰かが読む、という体になっている。

www.editage.jp

jp.elsevier.com

 

学生の頃だと、誰かに指導をうけているので当然、師や自分の所属コミュニティの中では論文を読んでもらっている。納得し、ここまででどうだ!と思って「投稿」する。しばらく待っていると(この期間は投稿先による)、返事が返ってくる。それを見て、コメントに従って、忠実に修正をし、回答書を作成し、改稿原稿とともに「再投稿」するというのが流れである。

 

ここで、重要なのは、査読者は論文が世に出ていく前のゲートキーパーであり、かつ、自分にとっての初めての読者なのだということ。査読は「批判ではない」ので、査読者はその論文のアラを探しているのではない。その論文を読み、その論文をもっとよくするための手立てを考えてくれる、いわば、会ったことの無いメンター、あるいはパートナーなのだと私は理解している。

 

だから、回答書の書き出しは当然「丁寧に読んでいただきありがとうございます」というようなフレーズになるのだ。

勿論、返ってきた時は、(こんなに考えたのになんでわかってくれないんだよ…)とか、(そこ突っ込まないでよ…)とか思う気持ちもあるかもしれない。でも、私は、初めて投稿したとき修士論文を改稿したものだった)、いただいたコメントの通りに書き直したら本当に読みやすいものができたので、目からウロコで感動したを覚えている。1人のために他の人も貢献する、良いものを一緒に創って出していく。それが「学術」という協働作業なのだと思う。

 

私も何度か査読に落ちたことがあるし、しんどい改稿も経験したけれど、査読を経て論文は強くわかりやすくなっていくことを実感するので、自分からは「査読付き」しか出したくないと思ってしまう。

この前、依頼原稿というのを書いたが、査読がないことが本当に辛くて泣きそうだった。査読の無い学内紀要を今年は単著1本、共著1本書かなければならないことが既に決まっている(研究費をもらってしまったため)ので、今から暗澹たる気持ちである。

 

普段から査読のリハとして意識しておくべきことは、試読してくれる人を見つけておくことかもしれない。お互い忙しい研究者であるが、あなたのも読むから私のも読んでおくれ…と言える相手を、いろいろなキャラ(ロジックにシビア、内容に知がある、先行研究に詳しい、文章技術が高い、語学ができる等)、あてを作っておくと良いと思う。これは同じクラスの人では十分ではない。自分とタメか、常に自分より秀でたところのある人でないとよくない。

研究者コミュニティでは、自分より上のクラスの人とつきあっているか(つきあってもらえるか)というのが、生命線だと思う。そういう意味で、上のクラスの人が自分を「おっ、この研究者、面白いんじゃない?」と思ってくれるという相思相愛関係であるかというのも大事だ。

 

多作であるか寡作であるかも、就職活動の段階では効いてしまう業界ではある。でも、研究者キャリアを楽しく、長く続けていくためには、それだけではなくやっぱり仲間探しが必要だ。そういう意味で、書くことは続けなければならないし、存在感を出していかなければならない。そういう意味でも、研究会とかは顔を出した方がいいと思っている。(学会は…正直わからない。お金がかかりすぎるし、大きすぎると感じることもある。仲間探しより、情報キャッチな気もする)。

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harinezumi.hatenablog.com

harinezumi.hatenablog.com

書き終えてからなんとなくこれを思い出した。これは研究者コミュニティの話ではないけれど。

note.mu

サカナクションからの広瀬香美は辛かった

はりねずみだけに、「周りからとっつきにくく思われてるかもよ」という意見をもらうことも多いのだが、実は私は至って平凡に淡々と生活をしている。大学に行ったあと、餃子を食べ、カラオケに行ってきた(私は1人カラオケはしたことがない)。記録するのが好きなので、書いておく。

サカナクション(2015)「新宝島
平井堅(2017)「ノンフィクション」
椎名林檎(1999)「モルヒネ
ポルノグラフティ(2002)「アゲハ蝶」
宇多田ヒカル featuring 椎名林檎(2016)「二時間だけのバカンス」
宇多田ヒカル(2016)「道」
Perfume(2017)「TOKYO GIRL」
乃木坂46(2016)「話したい誰かがいる」
西野カナ(2014)「Darling」
広瀬香美(1994)「ロマンティックに恋して」

前にも言われたが、歌う曲は至って普通。

特に、椎名林檎の「モルヒネ」は歌っていていつも気持ちが良い。

無罪モラトリアム

無罪モラトリアム

 

 

今日は、「冬の曲」みたいなカテゴリから広瀬香美を見つけ、おーっと思って歌ってみたが、歌詞がイタイので辛かった。ポケベル以上に、なんで「あいつ女いるって噂」でも「それでいいのだ」という帰結になるのかわからない。ほしいものが「給料三ヶ月分ためて〜指輪」というところも理解できない。

 

しかし、1994年から何か女性の生活は変化しているのだろうかとふと、「TOKYO GIRL」が主題歌になっていた『東京タラレバ娘』のイタさを思い出す。

www.ntv.co.jp

原作漫画に根強いファンがいるらしい。読むと30代は辛くなるヒト続発ってよ、と聞いて読んでみたが、私はふーんって感じだった。まあ、漫画があまり得意じゃないっていうのもある。日常を切り取るという意味で面白かった。

東京タラレバ娘 コミック 1-7巻セット (KC KISS)

東京タラレバ娘 コミック 1-7巻セット (KC KISS)

 

私は契約時に3ヶ月分の指輪をもらうより、思い立った時に何かあげたり花束をもらったりしたいタイプ。

追記/ 広瀬香美を聴いて育ったタラレバさん、という計算が原作漫画かもしれない。ゾワっとした。

「Edu-Lab Meeting」のこれまでとこれから

 

 Edu-Lab Meetingは、学びにあふれた社会をめざし、フォーマル学習/インフォーマル学習を架橋する実践/研究について議論する研究会です。どなたでも参加いただけます。これまで13回開催してきました。

 2015年より、森玲奈(帝京大学)・村上正行(京都外国語大学)が個人で協働・主催してきましたが、2017年11月より、森玲奈が理事を務めるNPO法人Educe Technologiesの非営利活動の1つに追加されました。東京・京都を中心に活動していますが、今後、全国各地での開催を目指しています。私の街でも、私の大学でもやりましょう!と言ってくださる方、旅費は気にせずお声かけください。


2015年

■第1回:6月3日「高等教育におけるプロジェクト型学習の活用」

・話題提供1「学生の主体的な活動を生み出すプロジェクトのゴール設定と授業デザイン:長崎大学での事例から」成瀬尚志(京都光華女子大学短期大学部ライフデザイン学科講師)

・話題提供2「創造的なプロジェクト型学習を支援するファシリテーションの在り方」安斎勇樹(東京大学大学院情報学環特任助教) 

 

2回:10月30日「生涯学習社会における自律的学習者のためのデザイン」

・話題提供1:「ボストンチルドレンズミュージアムと文化展示について:Learning, Identity, Culture」真木まどか(英国立レスター大学修士課程)

・話題提供2「『能力の横展開』を目指す課題解決型授業に求められる仕掛けとは:京都産業大学「O/OCF-PBL」における試行錯誤を例に」伊吹 勇亮(京都産業大学経営学部准教授)

・話題提供3「初年次教育における学生の自己調整学習を促すことを目指した授業デザイン:学生による目標設定と自己評価を取り入れた論証文課題の事例」遠海友紀(京都外国語大学国際言語平和研究所嘱託研究員)

 

3回:12月15日「教え手のリフレクションを促す研究アプローチ」

・話題提供1「ゼミナールでの共同体的な学びを解きほぐす」伏木田稚子(首都大学東京 大学教育センター助教

・話題提供2「メンタリング研究から見える教師の支援のあり方」脇本健弘(横浜国立大学教育人間科学部附属教育デザインセンター講師)

 

2016年

4回:1月13日「大学生は正課外活動で何を学ぶのか」

・話題提供1:「大学生の正課外活動への取り組みとキャリアレジリエンスの関係についての研究」池田めぐみ(東京大学大学院学際情報学府修士課程)

・話題提供2:「プロジェクト型学習における「課題解決」を問い直すー楽しみながら学ぶプロジェクトデザイン」成瀬尚志(京都光華女子大学短期大学部講師)

 

5:2月10日「ワークショップとはなにか?」

報告者:森玲奈(帝京大学)/長谷川一(明治学院大学

討論者:安斎勇樹(東京大学大学院)/土屋祐子(広島経済大学

司会:村田麻里子(関西大学

 

6回:4月18日「市民の主体的学びを促す学習環境のデザイン」

・話題提供1:「遊び論から考える創造力を育む空間のデザイン」遠藤幹子 (建築家/一般社団法人マザー・アーキテクチュア代表理事

・話題提供2:「多世代で共に創る学習プログラムのデザイン」森玲奈(帝京大学高等教育開発センター講師)

 

2017年

7回:1月12日「創ることを促す大学教育のデザイン」

・話題提供1:「研究を伝えるデザイン“アカデミック・ビジュアリゼーション”の恊創に求められる制作者スキルの考察」元木環(京都大学情報環境機構・学術情報メディアセンター助教

・話題提供2:「“よい”ものづくりを支える学習環境デザイン」大﨑理乃(産業技術大学院大学情報アーキテクチャ専攻助教

 

8回:3月13日「大学という職場での学び:教授者として、あるいは研究者として」

・話題提供1:「大学教育における教員の省察プロセスのモデル化:授業デザインの持続可能な発展を目指して」(大山牧子:大阪大学全学教育推進機構助教

・話題提供2:「トランスファラブルスキル向上を目的としたワークショップの試行:サービスデザインを取り入れた周辺の環境設定について」(仲野安紗:京都大学学術研究支援室URA)

 

9回:4月14日「新しい大学教育を創る試み」

・話題提供1:「大学教員養成プログラムの意義と可能性:大阪大学の取り組みを例に」(根岸千悠:大阪大学全学教育推進機構教育学習支援部特任助教

・話題提供2:「大学生の参画意識を促す講義と評価のデザイン:プレゼンテーション教育の事例に着眼して」(森玲奈:帝京大学総合教育センター講師)

 

10回:7月21日「フォーマルとインフォーマルを架橋する学習環境のデザイン」

・話題提供1:「デジタルネイティブ世代の特徴と学習環境のデザイン」(村上正行:京都外国語大学国語学部教授)

・話題提供2:「授業とワークショップ、その学習環境デザインを俯瞰してみる」(森玲奈:帝京大学学修・研究支援センター講師)

 

11回:8月30日「プロジェクト型学習と役割意識」

・話題提供1:「大学教育におけるSA制度の可能性:立教大学経営学部の取り組みと研究事例の報告」(舘野泰一:立教大学経営学助教

・話題提供2:「プロジェクト活動において、自分自身の役割を見出すプロセスとその支援」(青木翔子:NPO法人PIECES 理事/株式会社MimicryDesign リサーチャー )

 

12回:10月20日「質的データを用いた研究論文作成に向けて」

・話題提供1:「質的研究における対象へのアクセスと配慮:ワークショップ研究を中心に」(森玲奈:帝京大学学修・研究支援センター講師)

・話題提供2:「質的研究における分析・考察結果の妥当性をどう担保するのか」(時任隼平:関西学院大学高等教育推進センター 専任講師)

 

13回:12月22日「大規模公開オンライン講座の有効性と可能性」

・話題提供1:「大規模公開オンライン講座の設計と評価ー相互評価および学習者特性との関連から」(渡邉文枝早稲田大学大学総合研究センター助手)

・話題提供2:「MOOCで何がどこまで学べるか—日本史講座における調査結果をもとに」(池尻良平:東京大学大学院情報学環特任講師)

 

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 (フライヤーデザイン:猫田耳子)

年賀状2018

年賀状に、干支も家族写真も入れていない。

もう長いこと、中新さんにデザインを頼んでいる。

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彼は私の名刺、個人HP、プロジェクトHPをデザインしてくれている人なのだけれど、商業的な香りが無い、ある意味「わかりにくい」ところが気に入っている。

「そろそろはりねずみさんも、もう少しプロっぽいデザインに変えたら」と広告代理店系の人に言われたことがあるのだけれど、私はプロのコンサルではないので、仕事の依頼が舞い込みやすいデザイン、というよりも、なんか気になると思ってくれる人にひっかかればいいという感じでやっている。

 

ちなみに、今年の年賀状は、私が海外視察をした時に撮った写真を組み合わせている。

左がパリにあるポンピドゥーセンター併設の図書館。

右がジャカルタのスラム街で行われた子供向けワークショップの様子だ。奇しくもこのワークショップは、スラムに新しい図書室が出来た時に併催されたものだった。

 

私達の仕事は、このような両者を行き来しながらやっていくものだと思っていて、そういう話をしていくことが、一枚の年賀状デザインに収まっていく。

デザインコンセプトの部分は相談しながらやっているが、先に「跳ぶ感じで」とか、「モビールで」とか、モチーフを出すことが多い。最初の頃は、イメージのすり合わせにも時間がかかったし、何をお願いするとどのくらいの手間かとかわからなくて苦労したが、今はそんなにストレスを感じないで、すごく好きなものに出会える。

 

私の場合、賀状は職場に送るケースも多く、あまり学友に送ったものは少ない。SNSや携帯以前の関係性というのは、消息を掴むことすら至難という場合もある。

そんな中、思い出したように、賀状を出す中学の先輩がいる。みんな2個上で、私が中学1年生の間、図書室でお世話になった人たちだ。たった1年しか関わりが無かったのだけれど、私のことをいろいろと思い出してくれるようだ。

一人からは「**ちゃん(ここは本名、しかし誤字)が20年たってもやっぱりピュアでとんがっていることに昨年は感銘おぼえました」という賀状をもらった。SNSでやりあって、ブロックしてしまった相手である。少し申し訳ないので、こちらも慌てて賀状を書いた。

一人は、賀状を送ったら今日メールが届いた。今月行うEduce Cafeに参加するとのこと、公立図書館で働いていることがわかった。中学の図書委員会副委員長が今は図書館で働いているというのは、あまりにもイメージどおりであった。

 

さて、翻って、学友にとっての私のイメージというのはどんなものだったのだろう。こわくて聞けないが、当時よく言われたのは、物書きか政治家であった。本人は自主映画を上映できるカフェの主人なんかいいなと思っていた。

 

今の職業は想像もしていなかった。誰か想像できた人がいるだろうか。

そんなことを考えながら、1月下旬の再会を楽しみに待つことにする。

叶うなら

叶うなら。

私は、早く、素敵なおばあちゃんになりたいのです。

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年末に、いただいた本です。

はりねずみグッズは嬉しいので無条件で喜ぶし、お花もお酒も好きなのですが。一方で、私に本を贈るのは少し難しいかも。でも、その方は私をよく見ていてくださるんだなあと、この本を見たとき嬉しかったです。

 

私が年をとることに興味があるのは、素敵なおばあちゃんを見ていたからかもしれません。中学の頃まで生きていた曾祖母が本当に素敵な人でした。80歳を過ぎて英語を学んでいました。

2人の祖母も素敵です。1人は他界しましたが、死ぬまでずっと何か習い事をし続けていました。もう1人とは、中学のとき少し同居していました。今は重度の認知症ですが今でもとても可愛らしく綺麗です。私にはおばあちゃんに良いイメージがあるんだと思います。

 

どうしたら、素敵なおばあちゃんになれるか。在りたい自分と居たい世界を、これからも創っていきたいと思っています。

 

世界のおばあちゃん料理

世界のおばあちゃん料理