だいたい平常

私は、本当に平常が好きで、コンスタントに遊びたいし、コンスタントに働いていたい。だから長期休暇というのがよくわからない。取り立てた新年の誓いはない。年度始まりが、私たち業種の「はじまり」だと思うし。

 

ネットにもこの時期、正月の暴飲暴食後は‥.みたいな特集が出て来る。年始、食べ過ぎるからそういうことになる。実際、伝統的なおせちというのは普段食べないような、美味しくないものの集まりで、そのくせ(高いですよ or 大変だったんですよ)という恩を着せられるような気がしていたので興味がない。今年は、再解釈して自分で作ってみたけれど。出汁を除けば朝キッチンに立って昼には7品のおせちと、雑煮と、他につくりおきが3品できた(料理のことは調理室にアップした)

harinezumi-recipe.hatenadiary.com

 

昨日は年が明けたら直ぐに寝て、毎月1日は映画が安くなるということで、元旦、映画を観てきた。

www.tantei-bar.com

携帯電話が無かった高校時代、「はりねずみさんはたぶん駅前のカフェにいます」と同級生が言うので担任が「そろそろ学校に来なさい」と店に電話してきていたことがある。朝、1限に間に合わないなあと思うと、ついコーヒーを飲んでいた。

 

「はりねずみは、だいたい夜はBARにいます」みたいなのも、私は悪くないと思うんだけれどもなあ。まあ、それまでに少し時間がかかるかな。

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La Dolce Vita

2017年をふりかえり。

とりあえず、用意していた年越し蕎麦を食べ、ぬくぬく、いつもどおりの時間で寝てしまうと思います。私の場合は誕生日が1年の区切りなので、30、31日はちょっと惰性気味というか、2017年延長戦、みたいなところがあります。

 

2017年は正月早々にハワイから始まり、査読付きの国際会議に4回参加しました。手応えがあったもの、課題を感じたもの。それぞれでしたが、よく頑張ったのではないでしょうか。

今の職場に勤めて、9月で4年目に入りました。4月からテニュアに切り替わり、研究室が広くなり、そして配属先が変わりました。これまで安定とは無縁な生活をしていましたが、基盤の上に自由な研究活動ができるという状態になり、それはそれで、信じられないほど快適でした。

3月には編著を手掛けた『「ラーニングフルエイジング」とは何か:高齢社会における学びの可能性』(ミネルヴァ書房を刊行することができ、その後はそれに関連したワークショップや市民講座も多く実施してきました。

現在は、後期成人の主体的学習活動とその支援に関心を持っているので、引き続き、そういった大テーマの中で、いろいろなことをやっていきたいと思います。

冬からは最年少の構成員として総務省のSWGにも加わり、勉強させていただいております。自身が博士(学際情報学)であったこと、恩師との兼ね合いで、ICT活用の教育研究にも触れてきたことが、今頃、とても大事に思えています。

 

2018年も、甘く愛に溢れた、刺激的な1年になりますように。

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人生長いのでゆるくやっていく

誕生日も明けましたので平常運転です。

今日は、ひたすら、英語文献を探してアブストを読みダウンロードしまくるという日です。これができる場所でやっておくと、後でいつでもどこでも論文に浸ることができます。私はこれをやると決めた日は100本はやるので、手がだるくなります。

 

さて、先日、軽く衝撃を受けたことでもありますが、半期1コマしか担当したことの無い大学生だった方と、今、facebookで繋がっているのですけれど、彼女が私に影響を受けたので「図書室」やってもいいですか?とMessageしてきてくれたのですよね。

ちなみに、これがその元ネタの「図書室」なわけですが。

harinezumi-library.hatenadiary.com

彼女は学校の先生になる道に進みながらも、働きながら司書課程科目を卒業後単位取得していたようで(そこまで詳しくわかっていない)、とにかく、すごいなあと思っていました。

実は私も、大学学部時代は不真面目で、授業が増えるのが嫌だという理由で学芸員資格をとりませんでした。大学院に入ってから、ご縁あってムサビで学芸員資格を通信教育で取る方々のサポートをすることになり、(私資格持ってないじゃん、やばいのでは・・・)という気持ちと、ムサビと東大で、学芸員資格の道にどんな違いがあるのか興味が湧いて、博士課程の2年間で取りました。

結局、有資格者になっても学芸員になるわけではないのですが、そこではじめて、東大教育学部・教育学系研究科における社会教育というのが何を教えているのかを知り(今は少し組織改編もあって内容も変わっていると思います)、福武ホールと教育学部、こんなに近くで教育研究をしていても、やっていることはかなり違うんだなと衝撃を受けたのでした。

 

さて、回り道になりましたが、そんな、意識の高い卒業生が始めたのがこのブログ(本図書室)です。

hokuson-library.hatenablog.com

Amazonアフィリエイトに申し込んだら、記事実績がないからか許可されなかったらしく。そこで諦めることも無く、彼女は手描きで!(著作権の問題もありますからね)書影を作成していました。

しかも、この本は、私が彼女に補講をした際にネタとして扱ったもので、記憶が確かなら、それは彼女にとって大学生最後の授業になったものだと思います。

 

私ももう少ししっかりしなければなと思うわけです。ええ。

 

とある人に私は、東大を辞める時に言われました。

「私大では研究はできないよ。」

答えはNoでした。はっきり、それを示すことができます。着任してからも研究成果は出ています。授業は多くなりましたけれど、教育研究者にとって授業もまた教育実践研究の場です。

 

実は私、今の大学では所属の関係でゼミが持てません。だから研究人材の育成に関われないと思っていたこともあります。でも、今は「ネットワーク」があるので、私が対面で指導するよりも多くの方に、研究について届けることもできるでしょう。

 

勿論、然るべき時、ご縁があれば別ですが、私は現在の研究環境に満足しています。

そして、素晴らしい学生に恵まれ、こういう仕事を選んでよかったなと思っています。

 

これからもゆるく、楽しく、長く。

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圧倒的に満足できる人生

人生における目標を、「圧倒的であること」と思ってきました。

人並みでやっていても、それは次につながらない。相手の期待に120%、150%で応えていくことが、自分にとっての在り方でした。

そんな話をしたら、「随分マッチョですね」と言われ、そう言われるまでそんな風に思っても来なかった自分に気が付きました。そういう生き方をしていくことで、もしかすると、誰かを傷つけてきたのかもしれません。

それでも、私は、やらないで後悔するよりも全力でやっていきたいという気持ちが強く、それについて来られない人を切り捨てていたような気もします。

 

40歳までは若手研究者と呼ばれる業界です。若手、という呼称がたまらなく嫌で、早くそれが終わらんことをと指折り数えて待ってきました。女性は、何歳で云々、と年をとることを気にするみたいなことが一般にはあるかもしれませんが、私はそういう仕事をしていないので、早く、一人前として扱って欲しいと思ってきました。昇進を希望したとき、まだ若いから君はと言われ、「私、そんなに若くないです!」と生年月日を指差したこともあります。

 

もう、本当に、素でやっていく時期に入りました。海外を視察して回ったとき、北欧で聞いた「人生の後半」というコンセプトが本当に新鮮でした。40歳からをどう過ごすか、という考え方が諸外国では議論されているので、私も、30代後半から、如何に後半に向っていくかを考えてきました。

 

だから、待ちに待った、40歳でした。ここまで生きてこられたことと、これまでお会いした全ての皆様に感謝して眠りたいと思います。

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とりあえずやってみること

先日、150人規模のクリスマスパーティーに参加してきた。

主催するのは2軒のレストラン、どちらも個人店でお世辞にも大きいとはいえない。そんな彼らが、フランク・ロイド設計で文化財となっている大きな建物を借り、イタリア郷土料理とオペラ生歌付きのイベントをするという。聞いたのは1ヶ月前くらいだったか。びっくりした。フローなど大混乱かもしれないとは思ったけれど、面白そうだし、なによりその瞬間に「とりあえず立ち会ってみたくて」、友人と家族を招いて参加した。

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(写真は主催レストランの一つ、DA PEPIのFacebookからダウンロードした)

 

彼らはいつも面白いことをする。バーカロをしたり、生産者ディナーをやったり。

harinezumi-winecellar.hatenadiary.com

新しいことをするのは大変だろう、恐れは無いのかと思う。「どうしてやることにしたの?」と聞くと、どちらのシェフも「面白そうだから」と答える。彼らは大変になることをリスクと捉えていない。寧ろ、日々単調な毎日の中、自分らを奮い立たせる仕掛けが必要ということを知っているのだ。

 

これは、別なところでも聞いたことがある。料理教室に行っているレストランだ。

harinezumi-recipe.hatenadiary.com「料理教室をなぜはじめたのか?」その経緯を尋ねると、ソムリエさんが、ランチタイムの利益率についての他に、「若いスタッフへの刺激」と言っていたのが印象的だった。スタッフは、日々のルーティンに飲み込まれてしまいそうになるときがあるとも。

 

レストランは、毎日、膨大な下ごしらえを前にする。お客が入れば楽しいという人は多いが、店を開けるまで、どうにもやる気が上がらない時があるともよく聞く。また、時には、作りたいものがわからなくなったり、誰のために作っているのかわからなくなったりといった迷いが生じることもあると聞いたこともある。そんなとき、楽しく働くための努力、自分を動機づける仕掛け、そして何かを企てるときの仲間(ネットワーク)が重要になってくるようだ。

 

やったことのないことは、とりあえずやってみるしかない。もちろん、お金を取って仕事でやるので、最低ラインはクリアしなければならない、でも、安牌ばかりではつまらない、とりあえずやってみなければならないのだ。

私は冒険や遊び心を持ったオーナーの居る店が好きだ。彼らの仕事に対する姿勢から、学ぶことは多い。

【参加者募集|1/23開催】Educe Cafe :「デザイン・コンサルティング・ファーム」の仕事

今回のEduce Cafeでは、デザイン・コンサルティング・ファームを営まれている、三浦健次さん(株式会社メタデザイン代表取締役)にお越しいただきます。イタリアに造詣の深い三浦さんは、生涯学習と関わる様々な国内外のプロジェクトに関わられながら、人を育てることについて考えてこられたそうです。今回は、人材の未来、教育の未来について、事例をベースにお話していただく予定です。

 

■日時:2018年1月23日(火) 19時~21時

■場所:情報学環・福武ホールスタジオ1

■定員:20名

■参加費:2000円(飲み物と軽食こみ)

 

詳細・お申込みはこちらから。

harinezuminomori.net

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ご新規、歓迎です。

仕事を創る、というフレーズをよく聞くし、それができる人は楽しいと思う。

 

研究者には自分で課題を決めて仕事を創り出している人も多く、自分もそうありたいと思う者の1人だ。しかし、一方で、私は、降ってきた仕事をやりたいという気持ちも合わせて持ち合わせている。つまり、自分が切り拓く、創るだけではなく、他人がパスしてきた仕事もやりたいのだ。

 

何故かというと、自分が考え出す仕事だけでは、新鮮でない。飽きてしまうのだ。これは料理に似ている。私は創るのがとても好きだが、一方で他人の創ったものを食べるのも好きだ。もっと言えば、わかっているものを食べるのが落ち着くが、それ以外のものも、たまにトライしたい。

 

これをうまく説明するためには、新しい物と出会うための情報チャネル、「ご新規枠」を持っておくということかなと。

 

私の場合、例えばレストランなら月1も「新規枠」は無い(「ご贔屓」を季節ごと回っていくことの楽しみがあるので)。

 

仕事の場合、週1程度(5時間/1w)を新規枠に当てている。ここで言う新規というのは、今年引き受けた新規案件、くらいの感じ。翌年も似た路線で走るプロジェクトならばそれは、常連枠となるだろう。私一人でできる「管理」はそのくらいなので、仕事を人から引き受けるときは総数に留意している。私以外の人に任せるという考え方もあるが、質保証問題や対人管理が発生するのでストレスがたまる。今の私にはあまり向いていないように思う。総数が増えるようなら何かを、フェイドアウトできるようにしておく必要がある。

 

研究テーマも、大テーマにぶら下がっているマイ・プロジェクトが3程度なのが気持ちい。そこで、新しいものが入ってきたら、いろいろなものが締めくくられていく。

1週間は7日しかないので、丸1日は眠り続けるとして、週6で仕事は原則1日5時間、1日に案件は多くて2枠、2カテゴリまでと決めている。大小合わせても12枠以上のことはできない。ご新規枠はその週何もなければ、冒険や休みとなる。

 

説明のしかたが正しいかわからないが、総数を決めておくと、容赦なく選択できるのでとても気持ちが良い。

常に空けてある、まだ見ぬ「ご新規さま」に乾杯。

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