春眠と駄文

高校時代に確か1年間だけ同じクラスだった人から、数日前に突然、FacebookのMessageをもらった。文章がうまい、読むのを楽しみにしている、というような感じの内容だった。もう少し繊細な思い遣りも感じられたが、文言そのまま引くのはかなり照れくさいのでよそう。先方、Messageするか何度も躊躇ったようだが、美しい言葉でそういうことを言われるのは嬉しいものだ。

 

40歳というのはこういうことなのだろうか。容姿を褒められるより文章を褒められる方が嬉しいし恥ずかしくもある。死んでも残るのは文章だ。だから私は書き続ける。

 

彼のことはよく覚えていて、比較的良い感情を持っている方の同級生だった。でも、40年のうちの1年って本当に少しだし、その中で交わした言葉はいくつあったのか覚えていない。非常に大人びた感じがするというのと、数学ができるというのと(当時、周り中の人間が、数学ができる人に見えた気がする)。そういうことを手がかりにしても、現在の「私達」は見えてこない。

Facebookを嫌いという人も居るだろう。しかし、私には、失われたものを埋めていく助けとして、あるいは何らかの人間界にあるロマンティックなツールとして、私はSNSを好んでいる。

 

対して、Twitterをかれこれだいぶ開いていない。爆睡した、とか、暑い、とかそういうのを書くところがない。まあこの何ヶ月かは、そんなことにしかTwitterを使っていなかった気もする。かつて、Twitterで始まった人間関係や思考もあった頃を考えると、なんとも時の流れは、ツールの変遷は、という感じである。

https://www.instagram.com/p/BhAyzejAweH/

 

イタリアから帰ってきたら日本の春は終わっていた。

https://www.instagram.com/p/BhDejOeA2uP/

兎に角暑いので、寝続けている。これは春眠というやつか、毎年、こんなことを思っている気がする。来週から授業が始まるのに大丈夫か?と思うが、これまた毎年なんとかギア入っているので大丈夫だろう。

 

4月1日付けで昇進した。そこで気を張り詰めていたのでチェックすらしていなかったら、科研費も取れてしまっていて大学からのメールで知った。研究費が取れるというのは、今年も忙しいぞ、ということである。

昨日から今日は珍しく10時間強寝た。その後も横浜に行くつもりが断念、起き上がれなかったというのが正しい。近所までしか出ず過ごした。

明後日は依頼ワークショップを控えている。頭をそっち側に持って行かねばならない。

 

楽しみにしていると言われたから書くわけではないが、楽しみにしている人がいるというのは悪くない。