孤独の先に

ミイラ取りがミイラになった気分。

 

大人がどうやって大人になっていったのか知りたかった。自分は大人ではないと思っていたから。どんな大人になりたいか、どんな風に生きて、そしてどんな風に死にたいか、私の関心はそこにある。

 

自分が躓いていることの答えを探して、それがわかればきっと自分の在りたい世界が持続可能なものになると信じていた。だから、在って欲しいものを存続可能にしている営みを、できるだけ共感してもらえるよう、説得していく必要があった。その手段としてあったのが研究だったし、熟達化研究だったはずだ。勿論、ワークショップも、研究会もだ。

 

そういうことをして行った自分が、何かに熟達して行ったことを自覚したとき。私はすごく孤独になった気がした。薄々は思っていたのだけれど、熟達の本質は孤独だ。自分自身がどんな在り方をするかに行き着く。誰かの背中を追って、誰かに認められたくて、そういう季節には終りが来る。自分が何を信じたいのか、自分は何をそこでやりたいのか。方法は自分の歩いた後ろにできていく。つまり、歩いて行くしかない。

 

できるようになることは、できない頃を忘れることになりかねなくて。だから、私たちは、積極的に思い出して行かなければならないんだと思う。だから、私は、今さら、教育に興味を持つようになった。きっと、人生の正午を迎えたからだ。

 

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