昨日は、自分が所属していない学会から講演依頼をいただき、1時間お話してきました。テーマは、ワークショップおよびワークショップデザインについてなので、目下取り組んでいる研究とは一見異なって思われる方もあるかもしれません。しかし、実は、私が修士から取り組んでいることは、根底ではつながっています。
私は、学校外での学習に関心があるのですが、それは、何故かというと、「評価者−被評価者」という関係性が固定していない環境の中で起きる学習に関心があるからです。学校が嫌いなのでも憎いわけでもありません。(研究関心として)興味がそんなに無い、というだけです。ですから、私の関心ある学習者層は「大学生以上死ぬまでの人」と説明することがあります。実際にはこれは少し違っていて、学齢期でも、「評価者−被評価者」という関係性が固定していない環境に身をおいている学習者はおり、そしてそこでの学習には興味が持てます。
というわけで正直、自分のこどもが学校で何を学ぶのかについて、U12時代は特段の関心を持てないでいました。勿論、研究者としてではあるのですが、研究者であることは現状、私の大きな側面でもあるわけです。
ところが13歳というのはすごくて、それまで通じなかった話が、急に通じる気がしています。昨日行った講演の中では、いつもどおりA4紙を9等分にして、自分の気づきを書く活動をしました。その際、一番左枠は、参加動機、その隣は所属。名刺入れで隠してある真ん中は名前(もしくは呼ばれたい名前)です。他の枠は、講演の中で気になったことや面白かったことをキーワードで書いてもらうことにしました。
下の写真は、同伴した息子が書いたものです。
講演後、息子からもいくつか質問があったので答えましたが、質問内容は、ある程度講演が理解できていないと出てこないものばかりだったので、興味深く思いました。普段、私は自分の仕事の話を彼に積極的にはしないのですが、もし私が彼用にカスタマイズした話し方をしたとしたら、彼はこのような理解もしないし、質問も考えなかったと思います。なぜならば、私は、彼の顔色や様子を見て、ペースや難易度を変えてしまうだろうからです。一対一でするよりも、一対多で聞いた方が良い時があるということは自分自身も痛感しており、今回も他人でそれを実感したということになりました。
普段、80代の一般の方にもワークショップデザインをお伝えするような仕事をしていますが、高齢の方だから理解してもらえないということは感じません。今回、13歳でも理解できるようだということを感じ、改めて、難しいことを易しく語れる技術の大切さを感じました。勿論、私の息子は私に関心があるという点において、特殊ケースであるわけですが、コンテンツの量やスピードについて、示唆を得ました。「中学生でも80歳でもわかるように話す、書く」というのは一つの目安で考えてもいいかもしれないと思いました。
勿論、全ての13歳、全ての80歳という話ではないのですが、どの層にもやる気のある人や、やってみたい潜在的な気持ちを持つ人はいるので、その人たちが「学習環境デザイン」という考え方にアクセスしやすいような物事を作っていければいいなと思いました。
最後に、「学校がワークショップだったらいいのに、それなら僕も頑張れるのに」と息子が言ったので、それはナンセンスだしつまらないことだと言いました。外というのは内があるから価値を持つのであり、学校外学習は学校があってこその魅力なのだろうと思います。目的に合わせて方法を選ぶこと、その方法が多ければ多いほど自由であることを、どのように13歳が腑に落ちていくのか、あるいはいかないのか。その辺りも、今後、観察していきたいと思っています。