ぐるぐる

こどものことで今日は大学病院に行った。

 

精神科や心療内科では、こどもの出生についてと、親である私のこども時代や既往歴について必ず聞かれる。非常に複雑だ。もう慣れたので、手短に相手が必要だろうと思う情報を、誤解が起きないよう説明する。こどもが小1から始まって、いろいろ勉強したので、随分と発達障害に関する知識は持った。本人がすぐにIQをアイデンティティにしようとするので、なんでそんなことを教えたんだろうオトナは、と思う。

ちなみに私も幼稚園のときIQを言われた。そんなのは聞かない方がいいに決まっている。できることととんでもなくできないことがあるので、総合した数値なんて何も意味がない。

知能に問題がない発達障害は、最近ではそれなりの数居ることがわかっているようだが、周囲の理解が得にくいものだなあと思う。あからさまに言語習得が遅いとか、焦点が定まらなかったとかそういうことは無かった。思い返せば、4歳くらい、保育園で、他の子とうまくやっていないというあたりから、少し協調性がないというタグ付けがあり、小学校入学と共に弾けた。それでも、専門家に指摘されるまでは、全く気づかなかった。

 

自分のこども時代と息子とはさほど変わらないように思えるので、おそらく私もそうだったんだろうというこにになった。私は、そういった診断を聞いてから随分勉強したので、メカニズムがわかり、自分自信はかなり救われた気がしている。最初聞いた時は、後ろから殴られたようなダメージを受けたけれど。遺伝が強いのでお母さんがそうならば息子さんもそうみたいな話をされた病院も一つではなかった。

しかし、出産すべきでなかったとは思っていない。なぜならば、自分のこどもを見てみたかったからだ。そう考えてしまうのが、どこか抜けているんだろうか。自分のことでも持て余すのに、こどものこともみていくというのは大変で、私にはなかなかうまくできない。

 

息子がトランペットをほしいと言っている。春からずっと言っているので買ってやりたいが、練習する場所に困るだろうし、ひょうひょい買うような金額でもないので、もうしばらく様子を見る。片想いというのは失恋しないもののようで、なんとも美しい。

 

すこしつかれた。明日も病院に行き、また新しい先生に会わなければならない。新しい人に会うのは苦手だし、病院も嫌いだ。だから、明日は病院に行くのではなく、スターバックスに行くのだと思って寝る。

 

困ったことがあると、息子がよく、私の周りをぐるぐる回る。わかんないよ、わかんないよと言って回っている彼を見て、なんだか洗濯機みたいだなあと思っておかしくなってしまう。そんな私もまた、昔はぐるぐる回っていたんだろうか。何も覚えていない。

 

自分のことをあまり覚えていられないので、できるだけ記録を残しておくようにしようと思っている。もしくは、覚えておいて、そっと私に教えてください。