教わる構え

息子が、「編曲に興味を持ったので編曲家の知り合いは居ませんか」と私に聞いてきた。作曲をしている人は編曲もすると思ったので、きっと知り合いに居るとは思ったのだが、何故そんなことを聞くのかと聞くと、紹介してほしいと言う。

 

何故紹介してほしいのかと聞く。

すると彼は、編曲について教えてほしいと言う。

私は尋ねる。

 「編曲というのは、何時間の学習をもって習得されていると君は思うかね。そして、君はそれを、私が紹介するかもしれない誰かから、どのくらいの時間で教えてもらおうと思っているのかね?」

 

そして続ける。専門職が君に時間を割くということは、通常は対価が発生することなのだということを。それをしてもらうということに親しい仲であったとしても感謝をしなければならないし、それなりの構えが君自身にも必要なのだということを。君は、楽典の本をまる一冊隅々読んで、自分で思うように編曲もしてみて、そこで初めてプロフェッショナルと話せるところに立てるんじゃないかなと。何もしないで学べることなんて、たかが知れていて、君が現状で思いつく限りの努力をした上で、教えを乞うことができるのではないかと。

 

あなたは、こんな私を意地悪で冷たいと思うだろうか。子供の好奇心に寄り添わない、卑しい大人と思うだろうか。でも私は、専門性を持って働くというのはそういことを周りに理解してもらうということだと思っている。私の息子には、私がそういう考えを持って働いていることを知ってほしい。

(※勿論、並行して私は知人のつてを辿って、しかるべきときに息子にそういう出逢いをセッティングできるように黙って動いてはいるのだ。ただそれは、今ではないとも思っている。)

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