twitterが、いとも容易く可能にしてしまうことのひとつに、状況を記述することがある。
状況といっても、観察のようにではなく。
思ったことも、いろんなことを、不確かなことも織り交ぜて。
※実況中継、とまで言ってしまうと肩が凝るのであまりこの言葉を好まない。バックチャネルの研究はやっぱり面白かった。
進捗や過程を残すことで、全体の中で自分が立っている位置、それを見失うことを防ぐ。
自分で思い出せればいい。そのくらいの、何かフックが残っていれば。
そのフックを集団で共有することもできる。
集団で何かを創る際には有効だろう。
それを見ながら自分らの直面している課題を考えたり、必要とされている役回りを見いだしたりする。
twitterの学習利用というのは、難しいなと思う事例も多いのだが、少なくとも、これは、と思った。
全員が利用していなくてもいい。
全員がノート取りがうまい子でなくてもそれでも良いのではという発想である。
誰かが過程を記録すること、その過程を誰かが共有すること、その面白さと大切さに気がつく契機になる。
うまく導入すれば、過程の記録・共有に不慣れな人に対し、そのハードルを下げる可能性がある。
のでは???
ということを思った。
もうちょっと事例を交えて書こうかとも思ったが、
それだとふわふわっとしたアイディアがかたちを持ってしまう気がしてやめた。