0から1を創る

0から何かを生み出す力、その達成感を大学生の間に味わってもらいたいと思い、授業をしている。大学という、ある種、安全網が張られた環境の中で、自分の限界まで闘ってほしい。

 

水曜日は、持っている授業のうち2コマが最終講義だった。着任3年目、私の担当している「教育学」や「生涯学習概論」「成人と学習」には、教育学部生が多い。将来、学校の先生を目指す学生も沢山指導している。一方で、総合科目の調査法を教える授業には様々な学年・学部生がいる。

 

彼らにとって、私の授業は新鮮かつ難しいものらしい。最初はなんとなく履修したけれど、今まで大学で履修した授業の中で一番一生懸命やった、とか、印象的だったとか、役に立つと思えた、夢中になった、という感想を言ってくれる学生も少なくない。私自身、吸い付くような熱い視線を後半から感じ、大変やりがいを感じるものである。

 

私は自分自身が大学で授業をする身になることが今でも、まだ不思議なのだが、大学で記憶に残る授業なんてさほど多くなかった、という経験が、今の私の授業デザインへの熱意の一端であることは間違いない。また、授業デザインは、私のためのものであり、私自身が自身の研究の最先端を自覚し、その説明方法を思案し学習する場でもある。

 

ワークショップデザインの授業も調査法の授業も、特に後期は、「0から自分で考えて組み立てなさい」というのが骨子である。ワークショップデザインはグループで1つの企画を立て実践し報告までを行う。調査法は、自分1人で調査計画を立て、実施し、発表しレポートを出すものである。初年次向けの概論ですら、自分たちで問題関心を探し、新聞記事を集め、議論してスライドをつくりプレゼンする。

 

私は、プロフェッショナルに接するのと同じ視点で企画書・計画書・発表・報告に指導をしている。それを彼らにも伝える。私たちは延長線上にあるもので、断絶はしてないのだと。なぜならば、彼らは大学という場を出ていけば、何かのプロフェッショナルとして働くわけで、だから、大学でそこを手加減してしまっては、ぶれると思うからである。

 

私が普段、どのような問題関心をどうように企画書・計画書に落とし、どんなものを創っていくのかというプロセスを丁寧に説明する。その上で、それぞれの関心が何かを考えるところから寄り添う。卒論が必修ではない大学だからこそ、私の授業をとった学生には、半期・15回の時間をかけて、自分の問題関心から実践の企画書や調査計画書を作る醍醐味を体験してほしい。

 

ワークショップの方は計画立案段階に4回、調査法では調査計画の案出しから計画書書き直しに4回を配分した。調査計画書は、個々人の差もあるので、できるだけ回数内で引き上げていく。調査法の最終講義の発表では、この先にさらにどんな問いが出せるか、どんなアプローチで調査を継続できるかをコメントする。

 

最後に、仲間が創ったものに対する評価に、学生も参画する。そして、自身の自己評価も行う。これらを総合し、成績評価に反映する計算式を作成している。面倒なように見えて、合理的だし、何よりも、創ることへの一連のプロセスを体験することが、とても重要なのではないかと考えている。

 

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人生について

疲れているので手短に書こう。

 

帰り道、駅のホームで温かいお茶を買おうと自販機のボタンを押したら、コーンポタージュの缶が出てきたとする。いや、出てきたんだ。

電車はもうホームに入ってこようとしている。これに乗らなければ次は10分待つんだから乗らない手はない。喉は乾いている。でもスープを飲みたいんじゃない。私は迷わず、もう一回ボタンを押し、今度は温かい日本茶を手にする。先に買った缶はどうしようか。

 

昔の私ならきっとその缶を捨てた。なぜなら、スープは飲みたいものではないし、荷物になる。もっと昔の私なら、腹を立てた。自動販売機を蹴ったかもしれないし、誰かに悪態をついたかもしれない。あるいは自販機に書かれている電話番号にかけて文句を言ったかもしれない。

 

でも、今の私は、缶を鞄にしまい、そして新しいお茶を手にして電車に乗るんだ。

腹を立てるのは時間と労力の無駄だし、新しいものを買い直す経済力はあるし、なにより、スープが飲みたい日もあるかもしれない。

 

君は、大袈裟なタイトルに思うかもしれないね。

でも、人生とはそういうものだと私は理解している。

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誘う口実

これは、エミリア・ロマーニャ式のコトレッタである。びっくりするくらい美味しい。しかしカロリー爆弾だと思うので1人で食べることは薦められない。

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通常のカツレツに生ハムとチーズをかけるものだ。私はこれを昨年食べたとき、息子に食べさせたいと思ったので、帰省するタイミングを見計らっていた。それと同時に、イタリア料理に、高級で堅苦しいというイメージを持つ父にも、食堂のような、母の味のような、温かいイタリア料理を食べさせたかった。父が韓国を好きなように、私は、ヨーロッパが好きなのだ。

 

しかし、私は、昨年末、出張前、息子をどのようにして店に誘うか、うまい方法がわからなかった。1月9日は暇か?食事をしないか。そう聞いた。

息子は私に、「何か、話があるの?」と言った。「特に話はないが、私は8日まで海外出張だし、君は10日に東京を離れるので、会えるのは9日しかない。」

 

息子は、理由がわからないと言った。まあ、当然だ。

そこで、コトレッタの写真を見せた。

「これを食べさせたいけれど、もしかしたら品切れかもしれない。それは物事には100%というのはないので、できるだけその料理があることを願うけれど、無い場合に私を責めないで欲しい。それでも行きたければ連れて行く。」と言った。

 

私には、息子や両親を、連れていきたい場所があった。それをどう説明していいかわからなくて息子には、これが食べられるので予定してほしいと言った。食べさせたいものがある。それについて説明がしたい。なぜそれを食べさせたかったのか、話したい。それは、私が何をしているのかということに非常に強くつながっているのだ。

 

このレストランがあった場所は、幼い私が人生で初めて珈琲を飲んだ場所だ。ここには昔とても素敵なカフェがあって、そこは私が、母が本を読む時間を美しいと思ってきた場所だ。父もきっと、覚えているはずだ。

 

そこには、今は違うレストランがある。しかし、やっぱり素敵な人生と料理がある。私はそれに運命を感じている。なにせ、このレストランの料理には、愛があるもの。父も、きちんと受け止めてくれたみたいだ。

 

さて。ここから本題に入るけれど。

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ハワイにいたって時間はあるんだし、聞いてくれればいいのにと思ったけれど、そのくらい遠い存在に思われているのか、はたまた、モデルケースにならないと思われているのか。やってきた仕事の動機なんて、大抵はひょんなことだ。そのひょんなことを恥じることも悔やむこともない。それを掴み、それを続けるどうかは (君は横文字ばかり使うなと言ったので) 、あくまでも、自身の選択であり意思なのだ。

大学院の学費稼ぎのつもりの予備校教師が
どうにも楽しくなっちゃって
というのが本当のところ。

それ、最高じゃん?

いいね。そういう人生。

 

楽しいことを見つけたのならよかった。

私のために、研究を諦めたのでなかったなら、本当によかった。

(それにしても、親のことなんて、全然知らないな。それでいいけど。)

 

私は、両親が面白くて素晴らしい人生を送っていると、そして死ぬまでそれを続けてほしいと思っているし、そういう主張を根底に持って、研究をしている気がする。こんなに好き勝手しているようで、くだらない十字架を背負っているのかもしれない。辻褄があっていれば、それでいいんじゃないかな。

星の降る夜

3泊5日の旅も今日で終わりである。基本、短い旅を好まないのだが、今回ばかりは、年始少しでも長く東京にいたかったこともあり、このようなスケジュールにせざるを得なかった。

 

国際会議は、結果的には別に恐れる必要はなく、普通の学会発表だった。寧ろ、ポスター発表会場が広くて椅子机があり座っていられたので、日本のポスター会場の混雑とは比べものにならなかった。私は特に、韓国の医療系の教授の方ががっつり座り込んで話してくれたので楽しかった。ついでに別な研究の話も、PCに入っていたスライドで説明してしまった。そちらも英語のスライドを作っておいてよかった。これからは常に英語の研究資料を持ち歩くようにしたい。

英会話の成果はあったと思う。文法はまだめちゃくちゃだという自覚があるが、何も考えなくても研究内容のレベルでも言葉がすらすら出てくるようになったし、話すのはこわくなくなり寧ろ楽しくなった。特に下書きも用意していないし、その場でリアクションをとることができる。でも、まだ難しいのは、(1)聞く気がない相手に聞かせる必要がある場合の話し方、(2)困っている人がいるときの話しかけ方、(3)聞き取りにくい声、というケースだろうか。こういうのはどうやってやっていけばいいのか。そろそろ、Skypeを使って、様々な国の人が使う英語を聞いた方がいいかもしれない。もっとも、突発的な事象に対する発話は、日本語でも難しいのだが。

 

英語で話すことで、日本語で話すよりも自身の研究内容への理解が深まった。それとともに、聴き手にとても面白いし先駆的だと言われ、お世辞でも気持ちがよかった。今回持っていったデータは、実は投稿するかどうか後回し気味の調査だったのだけれど、もう少し続きをやってみてもいいかもしれない。

 急に日本語で質問されてびっくりしたが、まあ日本人の研究者同士のときはそうなるのか。それにしても、日本人にはどこから来たかとか所属組織のこととか、この先すぐ転職するのかとか、博士号あるのかとか聞かれて、ちょっと不思議な気持ちがした。研究発表をしにきているので研究のことを聞いてほしいなあ。

 興味深いと思うものも1つあったので、論文になりますかと聞いたら今後ということなのでチェックしていきたいと思う。

 

さて、こんなことをした後、いつもどおり、時間いっぱいまで好きなことをして過ごし、空港に向った。

 途中、バスが止まってしまうとか、ホテルのフロントがとっくに閉まっているとか、建物の場所がわからないとか、ドアが開かないとか、真っ暗闇だとか、あれこれあったのだけれど、部屋に入ってみればバスタブがあるし、キッチンもあるし、お酒が無いけれど星が沢山あって、こんな夜もいいかもしれないと思う。

 

夜道に建物を一緒に探しながら、タクシー運転手の女性が私に言った。

"I'll take you home ! " 

ありがとう以上の、何も気の利いた返しが出来なかったことが悔やまれる。

 

こんなに沢山星を見たのは、記憶だと鹿児島の田舎にアパートを借りたとき以来かもしれない。あの時は真っ暗過ぎて、夜道、溝に落ちた

 

滞在3日目にして、お風呂上がりにソファでよくわからないノリのアメリカのテレビ番組を見ながら顔にパックをして髪を乾かしている。肌寒いくらいなので持ってきたカーディガンが重宝している。どこにいても結局、自分の過ごし方でそこにいる。

 

さて。ここにあなたが居ないことが、私にはとても不思議なのだが。あなたは今、何をしているだろうか。そんなことを考えながら、ハーブティーでも入れようと思う。

 

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文化的だと思うこと

国際会議のためハワイに来ています。

harinezumi.hatenablog.com

しかし自分の発表が最終日なので欲張りなことに、今日は別にアポを取ってハワイ大学に行きました。

p4chawaii.org

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ハワイではp4c(philosophy for children :子どものための哲学)という活動が盛んに行われていると聞いていたので、それについて、マネジメントをされているBenjamin Lukey(以下、Ben)さんにアポイントを取り、お話を聞きました。

質問したかったことは(1)どのような経緯でハワイでのp4c実践が始まったのか、(2)継続にあたっての困難と克服の方法および持続可能性を高めるための仕組みづくり、(3)対象は何故子供なのか。

この質問に対しての答えについては詳細また別記事に(?)と思いますが、新鮮な発見の部分だけ、色褪せないうちに書いておきたいと思います。

私はずっと、P4Cでもp4cでもいいと思っていた(あまり気にしていなかった)のですが、Pとp、Cとcには違う意味がこめられていることをBenさんは熱弁していました。Philosophyはアカデミックな「哲学」、philosophyはダイアログを中心としたより柔らかい意味、おそらく「てつがく」と書けばニュアンスが伝わりそうです。そして、目鱗だったのは、「Childern」は子供、でも、ここでの「childern」は、こどもの心を持った人なら誰でも、要はマインドの問題なんだそうです。長年、なんで対象を子供にしているんだろう、子供とは誰を指すんだろう?と思っていましたが、すごくすっきりしました。私がover 40のインフォーマル学習に関心があるという話をして、実際にやっている研究をスライドを使って説明すると、彼らのcに私たちの対象(中には65歳以上の方も沢山!)が、嵌っているんだとわかりました。

いくつになってもcでいたいなあと思いました。そして、日本では、p4cはいわゆる子供、というイメージがあると思うので、少しずれを感じました。もちろん、Benさんの私見かもしれない、でも、ハワイでのp4c実践が幼稚園〜18歳まで幅広く学校現場で行われていることから、筋は立っていると思います。

 

 

そのあと、チャイナタウンに行きました。私は、海外に行くと必ずチャイナタウンを探す(もしくは中華屋さん)ことにしていて、それは、華僑という生き方と文化に興味を持っているからです。初めてパリを訪れたときから、ずっと続けている観察対象です。

 

ハワイでは、ダウンタウンにそのエリアがありました。中国です。

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大好きな海老蒸し餃子(ハーカウ)、見た目は他の国と同じ。でも大きい。

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割ると、その大胆さがあわらに。なんという筍の切り方なんだ。

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せっかくなので、見慣れないものも。Mushroom Chicken Dumpling15分待つよと言われたけれど、知らないものは頼みたいので待ちました。

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なんか餡がかかっていて、皮はワンタン的なつるりんとした食感(かんすいが入っている。黄色い色からも。)

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とにかく美味しかったのと、新しいインスピレーションが。点心ってそっか、その土地にあるもので、自由にやっていっていいんだねという。

 

中国茶は飲み放題で、2.5ドル〜3.5ドルのせいろを好きなだけ頼んでいく仕組み。アルコールの扱いはありません。繁盛していましたが、納得です。

 

次に、川べりを歩いて。

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湾岸を走って。

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暗くなったら本屋に行って。

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 本屋で、予約なしで体験できるLEGOワークショップを見ました。

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3年前からやっていて、土曜日は昼間に、時々夜もやっていて、かなり大きな作品や動画を交えたものもやるんだとか。LEGO社とのタイアップだそうです。何故本屋さんでこういう活動をしているの?と聞いたら、創造力が豊かになるので、大人にも子供にもおすすめなのだと説明してくれましたが、私は、日本だとLEGOを売るための活動でも無ければこういう実践を本屋さんがするというイメージが持てなかったので、純粋に新鮮でした。

昨日の夜にハワイに来た私が、近所で最も大きな本屋を探し、その結果、すぐにこの実践を見つけられたということは、結構簡単にアクセスできるということだと思います。

コペンハーゲンで、週3−4ペースでトークイベントを開催している本屋さんがあって素敵だなと思ったことと似た感覚です。

 

アクセスできるところにあるかどうか。

アクセスする方法を知っているか。

 

私はどうも、そういうことに関心があるようです。

Happening

人生も39年目となると、あんまり動じないというか、嫌だなあとすら思わないという不思議な感覚になる。

飛ぶはずの飛行機が空港に居ないと言われ、状況がわからないので2時間したらまたチェックインカウンターに来るよう言われた。お詫びなのか、お食事券2000円をもらった。

 

そっか、時間ができたんだ、と思ってしまう自分がいる。神様信じてないけれど、これは、一日、ばたばたしていた私へのプレゼントなんだと。その証拠に、こうして私は日記を書いている。

 

日本にいると、なんでも予定通り動きすぎなのである。日本の航空会社は日本だ。一方、海外の航空会社は、その国の文化を持っている。先日は韓国のLCCで温かいサービスを感じたし、今日はハワイ航空で、びっくりするくらい綺麗な日本語で日本的ではないサービスを受けた。遅れててよくわからないのでまた後でカウンターに来てね、なんて合理的なんだ。この感じ、中学の時、タヒチに行った時に味わったものに近い。電話がかかってきたら掲示板に書いておくよ。確かに、私はその指示に驚いたのだ。

 

以来、私は、海外に行くことが好きだ。全く想定できない問答が繰り返されることに、愉快さを覚える。もし発表できなかったら、ごめんなさいって言うしかないし、何も返金されないだけだ。準備はしたんだ、それでいいじゃないか。

 

すべての郵便が届くと思うのもどうかしているし、飛行機が定刻に飛ぶとか、荷物がなくならないとか、そんなこと考えていると足元を救われる。もしここでうろたえたら、他のペースも乱されてしまう。

 

レストランで同じ運命の家族が、幻のハワイ行きかもなとか言ってて、ああ休暇突っ込んでたら哀しいよなあとか思って趣深い。どうか、こういう出来事で、ハワイや海外旅行や飛行機を嫌いにならないで欲しい。旅をする醍醐味は、このようなhappeningにあるのだから。決して、accidentだと思わないでほしい。

 

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ハワイに行きます

1月4日から、ハワイに行きます。

と言っても、バカンスではなく、国際会議です。

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http://hiceducation.org/

 

"Study of sustainable management systems in science cafes sponsored by universities"というタイトルで、昨年度まで科研でやっていた、サイエンスカフェ主催者に関する調査について話してきます。できるだけ授業に重ならないところにしたかったので、年始というタイミングでの開催に惹かれ、参加を決めました。

 

実は私、恥ずかしながら、海外で調査も授業もワークショップも講演も経験があるのに、国際会議への参加が初めてなのです。これはコンプレックスだったので、なんとかここで経験できてよかったという気持ちです。こうならないように院生をしている後輩には早めに行ってほしいです。お金があれば院生の間に行った方が良いと思うのです。働き始めると、途端に時間が制約されだすから。

 

行くべき時、行けるような研究をしている時に十分な費用を用意できなかったこと、行くと良い時期に子供のことでいろいろ難しかったこと、博論を書いていたこと。いや、すべては言い訳でしかなく、行くのが難しかったのではなく視線が外を向かなかった、それだけです。研究テーマに合う国際会議を見つけられないという言い訳もよくしていました。今は、教育ならなんでも!というような懐の広そうなところなら、私でも出せるじゃないかという開き直りがあります。

 

今年からはジェロントロジーとか生涯学習とか、そういうのがひっかかりそうなものを片っ端からリストアップして、行けるだけ行こうと思う次第です。研究費が続く限り(幸い今はあるので)。

 

ハワイはアメリカなので、元来アメリカ苦手意識の強い私には、どんより気分なのですが、一方で、P4C(philosophy for children :子どものための哲学)という教育実践が盛んだと聞いたことがあったので、どんな教育文化なのか興味がありました。年始という時期的に、今回小学校の実践は見られないだろうけれど、なぜハワイでそんなに哲学対話が普及しているのか、その片鱗が感じられたらいいなと。

 

初めてのハワイなのであれこれわからないことがあって、プラグの形状とか、ホテルまでのアクセスとか、付け焼き刃で今頃調べています。気温が高いので、夏服や日焼け止めを引っ張り出してスーツケースに入れなければ。髪が痛まないよう、メンテナンスするものを持っていかなければ。愛用のドライヤーは電圧の関係でNGです。

 

というわけで、1月8日夜遅くまで海外です。

基本的にはオンラインで連絡はつくはずですが。