祖母が深夜に他界した。
先週までは元気だったらしいが、急に入院することになり、あれよあれよという展開だった。
昨日朝に、容態急変と母から連絡があり、気にはなりつつ、できることはなにもないと思って、仕事に出かけた。私にできることを、私はしなければならい。
仕事先で、ふと、祖母のことを考えるタイミングがあった。祖母にオムライスを作ってもらったことを思い出した。祖母は大変料理が上手い人で、丁寧さで母は比べ物にならない。しかし、祖母は、そのレシピを頭の中に持ったまま、認知症になってしまった。
だから、私は、祖母に料理を習うことはなかった。
私が、エイジングと学習について研究を始めたとき、既に祖母は認知症が始まっていて、母は介護に追われていた。私は何の手伝いもしなかった。手の届く範囲の家族に尽くさない私を、母がどう思っていたかわからない。血縁より研究を優先した、不義理と言われても仕方ない。
ただ、祖母のことを考えて研究をしていた。
祖母のために研究をしていたわけではない。
親族の死に目に会えなくても構わない。私の中では、全て、整理がついている。
「オムライスの作り方」を、もっと早く教わりたかった。一緒に住んだ中学生の時に、あるいは一人暮らしを始めた大学生の時に。でも、日常に紛れてしまい、時に照れ、それはなかなか叶わない。