大学は面白い

全くとんでもないことになった。某記事がいろんな人に拡散されたことによって、昨日のblog訪問件数は17590、本日も既に5171(特に今日は更新もしてないのに)。

 

インターネットってすごいなあというありきたりの感想と、そして、文章が人の琴線に触れる時、様々な読み取られ方をすることを興味深く考えていた。私の母は文学研究者で、特に現代詩の解釈をやっていたので、それを幼少期みていた私も、つい、言葉の面白さみたいなところに惹かれていく。私が質的研究法を用いて調査研究をするのも、そういった因果があるのかもしれない。

 

予想しなかった訪問件数により、少し書くのが怖くなったところもあるのだが、近況として科研申請書が無事、学内で却下され(これは一般の人にはわかりにくいかもしれない)修正依頼が来て、無事修正して、依頼箇所以外も推敲し頑張って、それがだいたい終わったところだ。私の勤務先は、他の大学よりも少し〆切が早いようで、まだ〆切になっていない大学もある。しかし〆切が早いというのは悪いことでは決して無く、〆切に合わせて動き、まだJSTの〆切(いわゆる本当の〆切)まで考えることを許されるということだ。

 

科研費を出す時、いつも思うのは、大学教員(研究者)は職員と、二人三脚だなあということである。私はこのことが院生の頃はほぼ全く、就職してもしばらくは理解できていなかった。故に、職員の方というのが私には何か透明というか、ブラックボックスというか、あまりきちんと意識しておつきあいできていなかったのだ。これは前任校が大きな大学だったということもあるのだけれど、それでも非常に良くないことだった(とても反省している)。

 

新しい勤務先が決まったおり、まず行ったのは、自分が関わらねばならない職員がそれぞれの部署で誰なのか、名前を覚えて挨拶をすることだった。私が何か新しいことを学内・外できるのも、職員の方の力添えと助言とたゆまぬ努力があるからである。私はあまり注意深くなく、研究計画を立てたり遂行したりということはできても、お金の計算ができなかったり、押印を忘れたり、書類が曲がってしまったりする。

数が絡むものに関してはひどい認知力の低さで、それについてはまた別の機会にと思うが、日常生活では3以上の数は、だいたい(塊)で認識している程度にやばい。

 

そんな私でも、職員の方が丁寧に書類を点検してくださるので、結果としてやっていけているのである。つまり、教員にとって職員はパートナーだ。本当はもっと、時間外の交流や、意見交換ができるといいなとも思うのだが、各セクションが縦割りなのでなかなかかなわない。しかし、挨拶をする、何か一言労いを添える、御礼を言う、頑張った成果を見てもらう、といったことを通じて、少しだけ、学内で親しめる職員の方が増えた。とてもうれしい。

 

科研費の季節に会計課が多忙なことはよく知っているので、出張に行ったら何かお土産を買おうと思う。最近は、あの人にはなにがいいかなと考えられるようになった。本当に少しずつだけれど、大学で働くことに慣れてきて、働くことがとてもおもしろいと思うようになった。研究以外の活動も、とても面白い。

 

私にとって、大学は働く環境としてとても面白いところだ。だから、大学は私にとって、とても良い場所だ。