大阪の西成・釜ヶ崎と言って、わかる方がどのくらいいるのかわからない。
少なくとも、私は、こういった街のその存在を、大学生まで知らなかった。
今日は、大阪で研究会に参加したので、以前から気になっていた西成のココルームに宿泊してみた。昨年夏、アーツ前橋にシンポジウムのパネリストとして招かれた際に、ココルームを運営されている、詩人・上田假奈代さんも同席されていて、それでご挨拶したのがきっかけだった。
- 作者: 上田假奈代,谷川俊太郎,鷲田清一,森村泰昌,栗原彬,西川勝,アサダワタル,甲斐賢治,鈴木一郎太,劔樹人,坂上香,岸井大輔,猪瀬浩平,山田創平
- 出版社/メーカー: フィルムアート社
- 発売日: 2016/06/21
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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このエリアは日本一人口過密な地域なのだと、上田さんは言っていた。
あの小さな1つの窓に、1人の人が住んでいるのだと。
今日参加してきた研究会は、社会調査協会公開研究会「ライフストーリーとライフヒストリー:『事実』の構築性と実在性をめぐって」だった。
私が社会学に進まなかった理由は、私が「『社会』を知らない」という気持ちにあるような気がする。貧困や差別や階層といったテーマを扱う研究の話を聞くたびに、なんだか申し訳ないような、居心地の悪いような気持ちになる。生まれ育ちはどうにもできることではなくて、だから、感謝するしかなくて、じゃあ何ができるのかなということを考えたとき、私はそっちには足が進まないのだ。
ココルームに来てよかったなあと思うのは、詩人である上田さんの創作の賜物であり創作意欲の源がこういう活動そのものにあるのかなと感じられたことである。特にインタビューをしにきたわけでもなく、なんとなく一晩、上田さんがやっているゲストハウスで過ごしているだけなのだけれど。でも、上田さんが部屋や敷地を案内してくれたときに、これは作品なんだし活動が芸術なんだなあと思えて、清々しかった。貧困と闘うとか、誰かを守るとか、そういう目的のためにというよりは、結果としてそれがそこにいい形で存在するというような、優しさを受け取った気がした。
私は、研究者になる前は実践者だったし、芸術作品を創作する側に居たあるいは居たいと思ってきたわけで、私はなんだか、創りながら他人と自分の作品を比べたり比べられたりしながら、いつしか何も創りたくなくなってしまった。その先に子供がいたり、そして、当たり前のような感覚で大学院があったりした。創りたいという気持ちの素直な表出が、今は研究すること、そして、書くことに向っているんだろうなと思った。
正直、頑張って大阪まできたわりに、出た社会学の研究会については、内容の50%もわかってない気がする。それでも来て、違和感は感じ取れたのでよかったのではないかと思う。