社会人大学院

最近、院試に関する相談を受けることがある。

そんな季節である。

 

学部生の院進相談はあまり受けないようにしている。なぜなら、自分が学部卒→すぐ修士、ではなかったので、正直、よくわからないからである。

特に、もうちょっと勉強したいとかまだ社会に出たくないとか、そういう動機での受験はあまり理解できない。

 

私はもっと切羽詰まったものを感じて院試を受けた。私の進路選択には生活がかかっていた。大学生の時からなんとなく仕事を始め、たいした覚悟もなくフリーランスで働く中で、どんどんわからないことや不安が溜まっていた。それを解消するためにはどこかできちんと勉強するしかないという想いがあった。つまり、探求欲求としても、かなり切羽詰まっていた。その頃はまだ、大学院に行けば答えがあると思っていたので、何も無いから自分でやらなければならないというのは後で気がついたことだ。実際、大学院に転がっているのはたくさんの手掛かりに過ぎず、答えは自分で探すのだ。生涯かけ、まだ探し続けている最中である。

25歳の私には、師や学習環境が、本当に必要だった。溢れんばかりの本が必要だとも思った。当時は仲間が必要だという認識は無かった。後になって、大学院では人との出会いが最も大きな財産だったことを知った。

 

学ぶことは道を拓くことに通じる。フリーランスは学び続けるしかない。一匹狼と思っていたけれど、気がついたらたくさんの仲間に出会っていた、それが大学院というところに対する私の感想である。

社会人大学院に行こう、応援しているので、そういう相談を受けるのは歓迎である。

健闘を祈る。