寄り添うことの難しさ

もんだいのないわたしたち を読んで。

「もんだいのないわたし」なんて、きっといない、と思って。

ーー

わたしたちは、世界の全てを見ることができない。

全方位記録できるビデオカメラが開発されたって、

それをストックできるコンピュータがあったって

それを分析する際、人が同時に見ることができるものは限られていて。

 

わたしは、それを「もんだいだ」と思っていて。

わたしはとても眼の位置が悪いなあと思う。

人の眼は、ついている位置が前を向いていて。

 

昔、鳥類は眼が横についているので視界が広い、と聞いたことがある。

鳥ってすごいなあと、その時、思った。

危険を察知しすぐに飛び立つ鳥を羨ましく見ていたことがある。

ーー

もんだいとは、今、顕在化しているトラブルのことを指すものではないと思う。

もんだいとは、しばしば発見するもので、記述するもので

もんだいとは、今は見えていないものかもしれない。

 

ーー

ぱっと見、なんのトラブルもなさそうなペアも、

ちゃんと見ることが大事。

そういう子がさびしい想いをしないように。

どの子の制作過程も見て、

細かい、本人も気づかないような所作を見て

それをあとで、コメントとしてそっと添える。

ちゃんと、見てたよって。

 

そんなことを、ベテランのワークショップ実践者の人から聞いたのを思い出した。