私には絶対音感はない。
ただ、少々音に大して神経質なところがあるようだ。
ということを自覚したのは、僅か数年前である。
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好きな音がある。
人の声に聴き惚れてしまって身動きがとれなくなった経験は一度二度ではない。
声で恋に落ち、音で楽器を決め。
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一方、苦手な音がある。
流水の音と電子音が重なると吐き気がするとか、階段を歩く音の残響とかが、濁っている、、と思ってしんどい時がある。
大学の頃は自作パソコンのファンの回転音が嫌だったが、もうすっかりその手のものは静音化したので助かっている。自宅ではテレビをつけていることが多いのだが、それは様々な聞こえてくる雑多音を耳が捉えてしまわないようにという意味合いが大きい。人が話している番組(大量に録画してある)を聞いていれば、その内容が耳に入ってくるので、音として認識しないで済む。非常に安心だ。
いちばんしんどいのは、乾燥機の回るモーター音だ。大抵は外出時に回すようにしているが、うっかり在宅時にそれを回してしまった場合、ある程度の長さ経つと、わたしは次第に殺意すら覚える。乾燥機は大変頑張っているのだから彼(=洗濯乾燥機)は何も悪くない、と思う。ただ、私にとってしんどいというのは確かなので、その一点において、我慢ができない。ここで利便性との間でしばらくの時間、葛藤する。
いちばんせつないのは、このを誰にどう説明したってわかってもらえないだろうと思ってきたこと、である。これに関しては、もう説明しようと考えることをやめた。
わかりあえないことだらけだ。そういうとき、私は黙って停止ボタンを押すことを覚えた。これは、大きな発見だった。世の中、停止ボタンでなんとかなるものも結構あるのだ。
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つまり、停止できるものは停止してみてもいいんじゃないかという考え。