オムライスの作り方

祖母が深夜に他界した。

先週までは元気だったらしいが、急に入院することになり、あれよあれよという展開だった。

昨日朝に、容態急変と母から連絡があり、気にはなりつつ、できることはなにもないと思って、仕事に出かけた。私にできることを、私はしなければならい。

仕事先で、ふと、祖母のことを考えるタイミングがあった。祖母にオムライスを作ってもらったことを思い出した。祖母は大変料理が上手い人で、丁寧さで母は比べ物にならない。しかし、祖母は、そのレシピを頭の中に持ったまま、認知症になってしまった。

だから、私は、祖母に料理を習うことはなかった。

私が、エイジングと学習について研究を始めたとき、既に祖母は認知症が始まっていて、母は介護に追われていた。私は何の手伝いもしなかった。手の届く範囲の家族に尽くさない私を、母がどう思っていたかわからない。血縁より研究を優先した、不義理と言われても仕方ない。

ただ、祖母のことを考えて研究をしていた。

祖母のために研究をしていたわけではない。

親族の死に目に会えなくても構わない。私の中では、全て、整理がついている。

「オムライスの作り方」を、もっと早く教わりたかった。一緒に住んだ中学生の時に、あるいは一人暮らしを始めた大学生の時に。でも、日常に紛れてしまい、時に照れ、それはなかなか叶わない。

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継続していくために

今日は、気象庁地球温暖化ワークショップ: 50年後の生活を探ってみよう」を見学し、引き続き、「気象講演会:高校生と考える、地球温暖化とわたしたちの未来」に参加した。

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なぜ、私が気象やら防災やらの仕事をしているのかは、不思議なご縁の重なりでしかない。

今回については、母校、学芸大附属高校地学の田中義洋先生から、「あなたの後輩で気象庁に勤めている人が、ワークショップをしたいと言っている、関われませんか」という旨の打診が私と、大学院時代の後輩である池尻良平さんに来たところから始まる。この打診があったのは、昨年の9月6日である。

 

聞けば、気象庁では平成元年から地球温暖化について市民向け講演会「気候講演会」が開催されてきたが、今年は高校生向けのワークショップを導入したい!ということだった。気象庁とのお仕事は2013年から別件(防災ワークショップのパッケージづくり)で始まっていて、それも今回の件に繋がったのだと思う。

 

ただ、私は今回、講演会を期待されている層もあるのではないかと思ったので、従来の形式も残しつつワークショップを導入するという提案をさせていただき、監修という形で池尻さんと関わらせていただいた。これは、庁内あるいはこれまでの聴衆と、どのくらい調整していくかという意味で、いきなり全てをワークショップにしてしまうことは、反動が出るのではないかと思ったのだ。

 

最初に考えたのはこの活動を誰にとっても理解しやすいものにしていくためのプロセス、だった。行き詰った問題に対し、ワークショップを単発で導入することは案外簡単だ。ワークショップを単発で導入することは簡単だ。しかし、その効果を関係者がじわじわと感じ、継続的な活用が見られなければ、大きな動きにはつながらない。どのくらいのペースで切り込んでいくかというのは、最も配慮するところかもしれない。

かといって、初回には、確実に、ドラスティックな成果を残す必要がある。勇気を持って、「変革」をしようと考えたタイミングで、120%の手応えがなければ次回は無いと思った方がいい。とんとんや予期できる成果では、その活動は長期で見るとsustainableにならない。高校生へのプレ実践も踏まえ、関係者で議論検討し、当日に臨んだ。

 

ワークショップには、関東の4校から高校生18名が参加しており、私の母校である学芸大附属高校からも7名の高校生が参加していた。4校へのコネクションは、田中先生があれやこれやの交流を駆使して呼びかけをされていた。教員養成系大学の附属校であるというだけではない、もう一段階、二段階上の情熱がなければ、他校教員とのつながりや、外部への引率は「面倒」なのではないかと思う。こういったつながりを作って活動されている田中先生には頭が下がるとともに、当時、そんなことを聞いたことも無かったけれど「この人は面倒見の良い先生だ」という感じ方はしていたので、その根っこにあるものは当時から察して、今も交流が続いているのかもしれない。

私は大学院受験の際の推薦状は田中先生に書いてもらっている。院試を考えた当時、学部ゼミの先生は他界していたので、どうしたものかと考えた。他に「先生」と名のつく人でコンタクトを取りたい人が居なかった。地学は1年しか受講していなかったが、レポートが面白かったという印象があり、きっと先方も私を覚えているのではないかと思った。

 

勿論、参加した母校の後輩は、全くこのような背景を知るよしもないだろう。きっと、私も、大きな流れの中で、気づかないものに支えられていたのだろうと、公教育の厚みを改めて思った。

元気そうって言われた

後輩に、「なんでそんな元気なんですか?」だったか「はりねずみさん元気そうですよね」か、そんなことを言われたので、少し考えていた。仕事以外に研究会とかイベントとか、他の活動、そんな余裕無いです、疲れたって思うことも多い、みたいなことを彼は言っていた。すごくよくわかる。私も彼と同じくらいの年齢で、考え直したのだと思う。

 

そうか、私って元気に見えるんだ。

まあ、疲れたら愚痴れる相手が5人は居て、わーって発散する場所はいっぱいあって、メンテしたりする方法もいくつか知っている。なんか、落ち込むこともストレスもあるけど、ばーって出して切り替えて、またすぐエネルギーもアイディアも泉みたいに湧き上がってくるんだよね。

 

私にとって、飽きないことは重要な意味を持つ。如何にメリハリをつけていくかということを大事にしている。あと、ダイレクトに仕事ってわけでないインプットやコネクションをすごく多めにしているかも。

 

昨日はどうしてもパソコンを持って歩きたくなくて、朝起きて1時間で締め切り前に原稿を書き切って出し、料理教室に行った。レストランで普段実際に使われている厨房に立つことの楽しさは何ものにも代えがたい。

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今通っている料理教室は、立ち上げ時からずっと追いかけているが、私の研究的関心と趣味的関心とリアルに役立つ(次のキャリアへの準備も?)が相まって、本当に良い時間になっている。その後、教室の仲間と3人でお茶をしてリフレクション、次に食事をする作戦を立てた後、新宿周りでちまちま5箇所用事を済ませ、大学院の後輩のお祝い会に参加した。普段は授業があるので出身ゼミのご飯会にはなかなか行けないのだが、たまには大人数で食事をするのも悪くない。

 

今日は、朝から料理をし、シラバスを入稿し、考え事をして、家中の化粧品の整理をしてから様々会計関係の作業をし、来週から告知の研究会の広報文2セット作成して、そそくさ夜放送されるドラマの時間に合わせてジムに行ってきた。ドラマを1本見終わると何キロ歩いている(早歩き)という感じ。体調に合わせて時速5キロ〜6キロで1時間、その後、2〜5のマシントレーニングと腹筋をするとすごく気晴らしになる。もっと余裕があればストレッチまでして2時間コースだが、なかなかここまでできる時ばかりではない。

その後、スーパーに行くと丁度、野菜なんかが見切りになっているので、その日の相場で納得がいくものを買って帰宅。

 

忙しくはないんだよね。多分。リフレッシュタイムとっている、もしくはありとあらゆることがリフレッシュになっていく感じ。自分のペースでやっているし。すごく、いろんなことをしている。それが、とっても気持ちがいい。

昔ばなしはしない

いま何をしているか

これから何をしたいか

そういう話だけしていたい。

つい、昔ばなしに耽る、そんな気持ちもわかるけれど、昔の人間関係なんじゃなくて、今の人間関係になっていないと。常に新しいことに胸をときめかせ、新しい活動にわくわくし。周りをあっと言わせるくらい、楽しく生きる。

ワインがあれば、私は大丈夫。

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善意に寄り添う

善意に寄り添って生きていくというのは、難しい。

人は人を信じなければならない。

 

でも、仕事に善意ベースが入ってくると、少し苦しい。催促ができない。条件を変更しにくい。要求水準を上げられない。だって「やってもらっている」から。

沢山の善意を言い訳にしたくない。私は、巷に溢れる善意を受け止めきれない。やってもらっているからこのくらい、と思えない。

自分も「良かれと思って」と吐きたくない。脳裏をよぎっても、そのフレーズを許せない。善意に寄り添えないこと、それがブーメランになって自分に戻ってくる。

それが、今の私なのだと思う。信じ抜けない私は、卑小で弱い。

 

イベントを終えて

どんな風にイベントの話題提供者を選んでいるのかと聞かれた。

自分が話を聞きたいと思った人を選んでいる。もう少し詳しく言うなら、親しくなる前の人を選んでいる場合も多い。

イベントの後に、ご縁があればまた会える。

単なる名刺交換以上の、私からのアプローチだ。

ならば、私へのアプローチとして、魅力的なのは何だろう。私は、本を読んだ、論文を読んだというのは嬉しい。読んで欲しいと思って書いているからだ。

中学時代の先輩がイベントに来てくれて、何十年ぶりに再会しサインをしてくださいと単著を差し出されたのに、気の利いた会話もできないくらいに私はコミュニケーション能力が低い。

新潟からわざわざイベントスタッフをしてくれた学生を、もう少し、引き止め、一杯ご馳走すべきだったか。いつも迷う。それをして、迷惑かもしれない、そんなに近づいて欲しくないかもしれない。

本は楽だ。イベントは楽だ。

人間は難しい。まだまだだ。

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福武ホールが10周年だそうで

今頃、雪で真っ白でしょうね。福武ホール。
10周年を記念したイベントが3月24日に開催されるそうです。

情報学環・福武ホール10周年記念シンポジウム
不確かな時代に生きる
これから10年を導くキーワード

情報学環・福武ホールは2008年3月に竣工し、来たる2018年3月に10周年を迎えます。福武ホールではこの10年間に様々な活動が行われ、多様な人々の出会いがありました。
このシンポジウムではそれらを振り返るとともに、不確かな時代の羅針盤になるキーワードを、各界の第一人者で議論し、これから10年を見通す言葉を参加者のみなさんと共有したいと考えております。
今まで情報学環・福武ホールに関わりのあったみなさまはもちろんのこと、幅広くご関心のある方々にお集まりいただければ幸いです。

私はプレハブの研究室時代から院生だったので、実はその頃の研究室も好きだったのです。それでも、福武ホールは建ち、私たちはUTalkを立ち上げ、福武ホールと共に私の研究生活も一変しました。
赤門の直ぐ側に研究室が移動したことで、学内の他の「場所」とつながりができました。物理的な距離というのは本当に力強い、私が移動を厭わないのもそこに理由があります。
 
所属を変わって、デスクが無くなって。それでもなんだかんだで明日も福武ホールに私は行くわけで。10年、あっという間だったような気がします。

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