群像劇

大事なことを書こうとして、うまく書けるわけでもなくて。

 

遠くを想っているだけで、何もできない自分。そこに居ない自分。

それに苛立っていたのが昔だとしたら。

今は、ここで自分のことをきちんとやっていくことが、想うことだと。

ここにいればきっと。だから、1つ、また1つと、私は新しいことを始め、仕事をし、髪を伸ばし、爪を塗り、料理をする。私にとって、時間との付き合い方なんておおらかなもので。

 

暇つぶしとしてではなく、名作だったのに見逃していたので観ている。

www.tbs.co.jpAmazonプライムはすごい。2001年放映のドラマをCM気にせず観ることができる。このドラマにメインで出ている役者はすべて生き残っていることからも、この作品の強さが感じられる。そして、何より、脚本家はこのあともヒットを飛ばしている。

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これを観ていて、そういえば最近、群像劇ってみかけないなと思った。群像劇を書ける人は力がある。例えば、7人の男女が出逢い、すれ違いながら、1つの時代を生きていくといった物語。最近日本のテレビドラマで群像劇を見かけないのは、もしかしたら現代を反映しているのかもしれないと思った。

 

そんなに世界は狭くなくて、一度離れた相手と、そうそう再会できない時代。近くなったように見えて、実は広くなり遠くなっている世界。だからこそ、群像という在り方が現代的ではないのかもしれない。そもそもSNSも携帯もあるから、「すれ違う」ってことの意味も変わったのかもしれない。

そんなことを考えながら、ある時間、ある場所であなたとすれ違えたことに感謝するのだった。