省察のタイミング

不安と閃きは背中合わせ。

 

暗がりに突っ込んで行かなかったら新しいものは手に入らないが、

闇雲に探しても、何も見えないから手に入らない。

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今日は、非常によろしくなかった。

先週頭から小さなつまづきが続いており、

皺寄せは徐々に来ており、完全に積んだ感じになっている。

 

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さて、転んでもただでは起きない。

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省察(reflection)というのは、学習において少々荒療治なのではないだろうかと考える。抑うつ的になる場合との分岐は、どこにあるんだろう。

省察」と「反芻」。「反芻」という概念を今日まで知らなかった。教えてもらった、嬉しい。

コインの裏表で、そこをどう整理するのか。

深くて高次の学習については、省察でも、葛藤でも粗いのではないだろうかと考えていたので、「反芻」についてレビュー論文があり読んで面白かった。いっぱい心理学の研究があるようだ。知らなかった。

以前、「リフレクションのデザイン」、なるものを標榜したワークショップを見たことがあり、その時、非常に違和感をもったことをよく覚えている。

あまりその辺、「教育工学」で使った支援や議論を見ない気がするのは、なぜなんだろう。注意深く見てみたい。「方法」的なのになあ。

 

行為の中で省察していいことあるとしたらそのケースに共通するのは?経験が糧になる場合とならない場合には何があるのか。ドナルド・ショーンの議論の先は。

考えるほどと進まなくなる状況、一旦停止、スイッチバックからの

行為に踏み切る際のジャンプ。

堂々巡りから抜け出せるパタンと抜け出せないドロップアウト

何が違うのか考えると、いいことがありそうだ。