雑談を挟む・批判を楽しむ

2時間以上お話すると集中できないという、とある人の投稿を見て。

さらに、本日のBEATセミナー「ソーシャルラーニングとこれからの人財育成」や、私のCAMPとの共同研究(中堅ファシリテーター向け研修パッケージの開発)についても振り返って考えていて。


雑談の生起と、活動の時間・形式について考えた。

小学校の授業は45〜50min、大学は80〜120minくらいか。

90minの講義でもいろんなことができる。私が今年持った大学の講義では、90minをさらに3パートくらいに分けて活動を構成してみた。これだと時間内で融通を効かせながら飽きさせにくい展開をつくれるのではないかと思った。

 

時間もデザイン。制約として事前にかかっている場合にはそこに理由があるのではないかと思う。集中できる心地良さの限界という意味で。しかし、この時間の長さで雑談は生起しにくい。それは集中できるから、飽きないからだろう。

 

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時間が制約として初期設定されていないケースについて。私が立ち上げから企画・運営をやっている2つのカフェイベントについて少し考えてみた。立ち上げからやっているので、時間と形式は初期条件ではなかった。

 

1)私が情報学環・福武ホール主催としてで企画・運営しているカフェイベントUTalkは大人にはちょっと物足りない時間(60min)に、わざと、してある。あとひく感じで今日のことをリピートしてもらいたいっていうのがある。勿論、月1で同形式のものをやっているのでリアルなリピーターも狙っている。大学とか研究者とかに関心を持ってもらう、きっかけづくりなので控えめな時間の長さ

2)一方、NPOの活動として企画しているカフェイベントEduce Cafeは、お茶するのではない、少し散漫で集中できていない感じがでるようだといいなと思っている。聞き疲れてくるとぽろぽろ自分のことを話したり本音で話したりするのではないかと思う。夜という、メインワークを終えて少し疲れていたり高揚したりする時間にお酒と食べ物を挟んで実施している。大抵、180minだ。最初の60min経過で休憩を20min以上とることを目安にしている(後半と前半では 長さは違って感じるから)。

1)にはなく2)にあること、それが雑談である。集中できないと、他愛もないお喋りが始まる。そのときにどのくらい、軸足の残った状態で雑談を促すか。脱線したまま、そこは置いといて〜の、で戻す仕掛け。脱線したものはそのままにしておく。

雑談・脱線を、総なめで拾わない仕掛けを考えるのが重要

 

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これは批判的な意見をすることにもつながるのではないか。

 

安斎勇樹ブログ:批判を楽しめるワークショップデザイン

これを読み、G+で下記のようなコメントをつけた。

「批判を楽しめるかどうかについて。批判しあって協働でものづくりをし結果達成感をチームで感じた、という経験がある人と無い人では、根本的に違いそうだなあと思った。例え仕掛けありの状態(ワークショップのような)であっても、それを1度経験していれば、他の場所でも仕掛けがなくても、批判を楽しめるようになるのではないだろうか。私も、そういえば最初に経験したワークショップでは、どのように相手へのコメントをするかについて、チームで話し合った気がする。」

 

緊張感のある雰囲気で批判をすれば、息苦しく、楽しくない。でも、少し緩めた状態でなら、言えることも言い方も変わるだろう。受けとめる方もgrowth mindset になっていれば受けとめやすいのではないか。

先のカフェイベントで言えば、1)は質問中心、2)は質問の他に批判もフロアでの雑談の中で出ることがある。

目の前の課題に集中させすぎないデザインというのが、学習プログラムにも意図的に織り込まれていてもいい。

 

雑談を挟むことは、批判を楽しめるようになることにもつながるように思うのである。