「プロジェクト」の生涯

数年前から気づいてしまっていた。あれは就職した年の秋。博論のテーマよりもやりたいことが出てきてしまった辛さ。やっとできるってことの幸せ、そのために数年準備して考えてきたことを、今、総動員しなくてはならない。

 

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私は、自分の学習の軌跡あるいはキャリアパスの中で、とても自然に研究関心をシフトさせた。私は、確かに修士・博士の5年間、「ワークショップ実践家(者)」に関心があったし、「熟達の過程」が知りたかった。それは、「ワークショップ」になんとなく参加してしまった大学生である私が、そのまま「ワークショップ」し続けたのはなぜか?というもの。ある意味、私が私を知りたかったのだと思う。それを周りの人も何か役に立てていただければ、とか、そんな気は実は殆ど無かった。使命感があるとすれば、私は私について知りたかった。そんな私小説的な出発点を、どうしても論文にもエッセイにも書きたくなかった過去と違い、今はそれを言える。

 

博士課程在学時、ワークショップ実践家のキャリアヒストリーに関しインタビューしていく中で、私は沢山の鏡なりロールモデルなりの前で、ただひたすら話を聞くことしかできなかった。そして、インタビューで対象者と向き合う度、目の前の語りは、至らない自分を反射してくるのだった。私は、インタビュー2ヶ月の中で20名ほど行ったが、その中で、面白さと同時に苦しさや揺らぎも覚えていた。起き上がる力が出ない日も、夜も眠れずという日もあった。それでも私は、決めた通りのことを半構造化インタビューで聞き続けた。そして、聞いたからには必ず書くのだ、という強い気持ちで論文を書いた。だから、博士課程の時に書いた投稿論文は好きではない。我が強く、主語はよく抜けており、丁寧さやあたたかさに欠けている文だと思う。英訳しようとした時に、目も当てられない、と自分の過去の論文に萎えた。過去とはそんなものかもしれない。

 

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実は、あの研究には私の中での「続きの物語」があった。論文にするためには急がなければならなかったので、諦めてしまった、けれど、必ず花咲かせたい続編だ。

 

私は、個人の熟達への語りではなく、プロジェクトが成長していく物語を見たかった。そこには個々人のネットワークがあるし、コミュニケーションが生起したきっかけがあるし、歴史が残されていくための仕掛けがあるだろう。

 

つまり、エリクソンの10年ルールにあたるものの、プロジェクト版。

 

今、せっせとデータをとっているプロジェクトは、継続して9年目の実践。10年目に向けて、個人が、集団が、何を学び何を残し、何を捨て、何を磨いているのか。そこを、コミュニケーションの過程を丁寧に分析することで記述してみたい。

 

頑張ってる、新しいことには悩みもつきもの。でも、きっと面白いんだっていう自分を信じようという志、みなぎるやる気がある。最近、分析をクールに書くに当たっての突破口も見えた。美しい切り口があれば、あとはていねいに大胆に、書くのだ。