「【エッセイ】マルチタスク環境と学習 」というブログ記事を読んで

【エッセイ】マルチタスク環境と学習 を読んだ。

 

常日頃から、マルチタスクについて考えるし、よくそういう話を友人などともする。昨年、秋頃だっただろうか。研究のためのノートをいくつ持つかとかメモをどうとっているのかなどを、聞いてまわっていたことがあり。

人が思うほど、マルチタスクと言ってもそんなことをしていないのはよくわかる。

 

私は、シングルタスクでないとこなせない。

よくいろんなこと並行してやっているねえ、と言われることもあるが、実際はそんなことをしていない。パラで走って見えるのは錯覚だ。私はとても不器用だということを自覚している。だから、キャパを考え、抱えるタスクに上限を決める(少しずつ、少しずつ負荷をあげ、キャパをあげていくことは厭わないけど)。

 

では、どうしているか。日によって、状況によって、自分のコンディションによって、その時いる場所によって。扱うタスクをこまめに切り替えているだけである。

しかしながら、気を遣っていることとして、以下のようなことがある。

 

1.関連性のあるタスクを複数(できれば3から4)抱えておく

2.抱えているタスクにかかる期間を変えておく

3.個別のタスクにおける季節を変えておく

 

1.は、G+と感覚的に似ている。「サークル」を4つ持つ感じかもしれない。当然情報収集する対象も重なりつつも変えていく。ここを軸足をつくりながらスライドさせていく人は、マルチタスクをこなしているように映るのかもしれない。

2.に関して。例えば Aプロジェクトは1ヶ月で終わる、Bプロジェクトは半年で終わる、Cプロジェクトは1年で終わる、Cプロジェクトは3年を目処にするという具合にする。これについて私は「サイズ」という捉え方をしている

3.個別のタスクには、2.に書いたような「サイズ」に関わりなく、プロジェクトには、立ち上げ、実施、省察、というような展開があると思う。これを、私は、「シーズン」と捉えている。この、「シーズン」を、「サークル」ごとにずらす。必ずずらすようにしてきた。これが重なると、認知的負荷が自分の中の同じところにかかりすぎる。それはとても詰まらないし、出来も悪くなる。(これをきちんと説明できる何か研究をしたい。)それぞれの季節を越えて、プロジェクトは強くなっていき、自分も成長していく。サークルの中での関係性も、練り上がっていく。

 

「サークル」「サイズ」「シーズン」を意識していると、マルチタスクが得意でなくても、それぞれを関連づけながら0.7 と言わず、個々もキャラ立ちした状態で仕事をこなせるのではないだろうか。

 

ーー

ブログってなんで書くのか、最近、そういうことも考えている。山内先生(私が長く居る研究室のボスである)のブログを読んで、下記のようなことをまずG+にPublicで書いた。

"情報爆発によって、情報量に対する個人の時間は慢性的に不足しています。このような状況では、個別課題のパフォーマンスが0.7に落ちても同時に行うことによって1.4のアウトプットを確保したい時もあるでしょう。” という部分について。考えさえられる。

及第点をクリアしているかどうかの線引きを持っていないとずるずるなりそう、そこを支えて行くこと(外部の目からも、自分の中側からも。何かルーブリックのようなものと照らし合わせることがあってもいいのかも)もマルチタスク遂行支援なんだろうなあ。

 

なんとなく。G+から、もう一歩踏み出してみようと思った。

それは、先日ご一緒した某シンポジウムをきっかけに、早稲田の向後先生と少しばかりやりとりをしたことや、某カフェイベントにゲストで出ていただいたジュンヤモリさんが「忘れないうちにブログを書く」とtwitterで言っていたのを見たから、だろう。

某シンポジウムも某カフェイベントも私にとっては別の立場で関わったものだ。しかしながら、私の中ではこうしてコンバートされていく。そして、私の学習方略は、実験され、トライアルに満ちていくのだと思う。

 

もっと学ぶため。

その道を探すため。

 

人は、少しずつ自分の「スタイル」を「サークル」の中で試しながら「サイズ」の大きな仕事をこなせる「シーズン」を迎えるのかもしれない。

 

 

補足:書き終えてから思い出した。<マルチタスクだと考えているわけではなく、大きなシングルタスクなのだ>という話をしたことがあるのを思い出した。