悪戦苦戦

身体って本当に面白い。市販薬で全く効きが悪く、だるくても病院に行ったら「この抗生剤でないとそのウィルスに効かない」とのこと。

抗生剤を飲んだら症状に変化、薬がウィルスと闘っているので熱が出ている。熱が出ると外に出る気も無くなり、仕方ないかと予定を調整し謝り諦念。結果、静養となる。

 

気がつくと少しずつ身体が楽になってきている。熱が出るというのはすごい調整力だと感動。ここまで来たらもう一息だと嬉しい。嬉しいと思えるくらいに回復。

 

文章を書くのも熱を出すことに少し似ていて、自分を癒やす力がある。

Facebookで、先程このように書いたのだが

「Yes / No枕」みたいな仕組みがコミュニケーションにあるといいなとよく思うので、Facebookはわりとそういう役割にしている。

他人にどう見えるかというのは結構こわくて、例えばこういうのとかを薄々知っているわけで

体調悪いアピールをする人の心理。誰かに話して心配されたい

正直、ウザい! 女性に聞いた「何かと病弱ぶる女性」の特徴|「マイナビウーマン」

 

不調って書くの、ためらうのはこういう意見があるのも知っているから。昔、子育てしながら研究しているのを親族がよく思っていなくて大変です、と言うことをSNSに書いたら(そんなの初めからわかってたんじゃないの?)と身近な人に書かれたこと。私はその数ヶ月後に即入院ね、と医師に言われることになる。大変だと言ってはいけない、元気ですよとアピールし続けなければならない社会の圧を感じること、今でもある。

 

疲れて携帯覗いたら誰かの愚痴がタイムラインに、じゃあ、やってられないという気持ちもわかる。「キラキラInsta」がもてはやされるのもわかる。

でも、実際が悪戦苦闘の日々ならば、それはそのままでいいんじゃないかと。ウィルスと必死で闘っている私の身体、今はそれがとっても愛しい。そして、薬ってすごいなとか、医学の進歩ってすごいなとか、もっと頑張ってほしいなとか、そういうことを感謝する。

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【11/27開催|参加者募集】豊かなパブリック・ライフを生み出す仕組み

こちらではまだ載せていなかったので、広報しておきます。

今回のEduce Cafeでは、カフェ文化研究家・東京大学情報学環特任助教の飯田美樹さんをお招きします。

ヨーロッパを訪れた時、美しい街並みや自由でリラックスした雰囲気の公共空間、オープンカフェで楽しそうに時を過ごす人たちを見て思わず息を呑んだことはありませんか。こうした都市での豊かなパブリック・ライフは、実は昔から変わらず存在し続けてきたわけではありません。ヨーロッパの多くの都市も日本同様、戦後は車中心社会となり、中心市街地は空洞化し、さびれていきました。このままではいけない、都市を人々の手に取り戻し、活気ある街にしたいという思いから、各地の都市改革が始まっていき、私たちが羨む今の姿ができたのです。ではどうすれば人がつい訪れたくなる、心地よい公共空間をつくることができるのでしょう。そのために研究や実践を重ねてきた先人たちから、豊かなパブリックライフを生み出すためのヒントを学びます。また、パブリックスペースの質をぐんと引き上げるために、いかにカフェが重要な役割を果たす役割かについても考察していきます。

 

詳細・お申込みはこちらから⬇

harinezuminomori.net

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本を書く意味

博論を公刊することを研究室後輩に勧めることがあるのだが、挑戦する人がいなくて少しさびしく思っている。

ワークショップデザインにおける熟達と実践者の育成

ワークショップデザインにおける熟達と実践者の育成

 

 博論公刊に対する意識や意義というのはバックグラウンドが異なるとかなり違う。大学への就職活動を考えるとすると、単著が1本あることはとても大きい(大きかった)。私が勤務する大学では、様々な業績が点数換算される仕組みになっているのだが、そこでの学術書単著のウェイトの高さには少々驚いた。

ただ、私が博論を公刊したかったのは、何も業績のためではない。「博論をください」と他人に言われたとき、印刷・簡易製本して渡すというのはなかなかな手間である。世話になった人に、きちんとした本として研究成果を渡したいという気持ちがあった。

 

それと同時に、どこかで見知らぬ人が私の本を手に取ってくれるかもしれないという想いがあった。後進につなぎたい、時間が経ってもあるまとまりを持った思考の総体を誰かに読まれたいとも思った。それはすなわち、己は何のために研究をしているのか、己の知見は誰に届けたいのか、ということと密接に関係する。

 

ちなみに私が博論を公刊することそのものの手本にしたのはこの本である。

退職シニアと社会参加

退職シニアと社会参加

 

教育研究は市民に向けて発信されるものである。さすれば、知見は公に開かれたものであるべきではないかと思う。私ができるだけ有償ではなく無償の実践にこだわったり、企業コンサルティングではなく普及を旨とした官公庁の案件に興味を持ったりするのは、一貫して、<研究成果をどこで誰に手渡すかモデル>を考えているからだ。1人の知見は、多層性を持って提示されるべきだと考えている。

 

博論本について、今となってはもっともっと書けたんじゃないか、できたんじゃないかと思うこともあるが、1つ1つのパーツとなる研究に関しては、未だに改訂したい部分はなく、何回人前で話してもその知見そのものには満足できている。博論を本にしたことで見えた世界というのがあって、それは次に何をしたいか、何ならできそうかということであった。これは博論を書いた時点で見えていたことでは必ずしもなく、少々タイムラグがある。

 

もっとも、出版事情は厳しいご時世であり、なぜそれを世に出す必要があるのか、と、厳しい問い詰めを食うこともあるだろう。でも、そこが、研究者と一般市民とがどこで接点を持っていきうるのか、考える大きな契機にもなりうるのだ。公刊を通じて私は多くのことを学んだ。

 

私はいろいろな出版助成を見た結果、こちらの制度を利用した。

研究成果公開促進費 | 科学研究費助成事業|日本学術振興会

また、こちらのサイトは熟読した。

http://www.hituzi.co.jp/hituzi-ml/
http://www.hituzi.co.jp/howtopublish/

 

博論本を出したことで、次の本の構想が編めた。

次の編著本でも多くのことを学んだ。こちらに関しては、内容も荒削り、もっとできたんじゃないかと思うところもあり。誤字脱字も見つけておりいろいろ悔やまれる部分もある。しかし、コンセプチュアルには新しいものを提示できたのではないかと思っている。実際、「偶然、知人の父親が手に取っていた」という話を先程聞き、偶然なのか必然なのか。まだまだ、本の力を確信するものである。今後は、もう少し、前作の背景を踏まえた上での各論として、ICTを交えた高齢者向けの教育実践や、セカンドキャリア・サードキャリアを志向する高齢者の意識とスキルに関する調査を行ってみたいと考えている。

 

 1冊、1冊、本を作っていく中で多くのことを学んでいる。逆に言えば、私が多くのことを学ぶための機会としても、本が機能している。

f:id:hari_nezumi:20150711144902j:plain(撮影:金田幸三)

変わること

あと3時間で本日が終了、というところで今日締切だった校正を思い出し、やって返した。他には何か締切だったものはないだろうか?いつになく、妙に(穏やかな)日曜日だったが。

 

週末を空けていたが諸事情・台風ということもあり遠出が無くなり、昨日の非常勤講師以降、細々とした作業をして過ごした。調理も沢山した。なにより、息子と進路の話をしたり、息子の秋・冬の服を買いに行った。病院に常備薬をもらいに行って、修理に出していたブーツも取ってきた。毎日のルーティンからこぼれ落ちがちな、しかしきっと大切な何かをした。

 

「デザインの魂は細部に宿る」という言説がある。

日常の質も細部を大事にすることで上がる気もする。細部を細とせず幹に繰り込んでしまうようなダイナミックな改変を行うといい。システム自体の見直しが必要だ。

 

2010年冬、私は鬱になって入院したことがある。実は私、神経質で考え方が細かいので気が滅入りやすい。しかし、もう同じ理由で入院することは無いのではないかと思っている。なぜならば、経験したことで兆候に気がつくことができるし、それを外に排出してしまう仕組みを作っているからだ。さらに、苦手な人間関係や苦手な現象が起きた場合は距離を取ることにもしている。

 

ダイナミックなシステムの改変というのはそういうことだ。人生はいつからでも遅いということはなく、常にシステムの見直しを必要としている。変わることを恐れてはいけない。変わったと言われることもまた、恐れない。

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かっこよく老いる

とある市民講座2回目終了。受講者は殆ど高齢者、80過ぎまで。向学心はみな強い。しかし、モチベーションもバックグラウンドもかなり違う。大人になると、本当にばらばらになっていく。高齢といえど、年齢も違う、受けた教育も走ってきた時代も違うわけだ。

1回目よりは、参加者がわかる分、用意が出来た。一方で、自分から発言してくださいというフェーズを作ったときの難しさがすごい。普段、地域のコミュニティカフェで話している高齢者と、いろいろなギャップを感じる。

前より手ごたえはあるものの、学習観の違いも根深い感じ。「いろいろな話を聞いたが、(自分のこととなると)よくわからない」という反応の人も。自分がどんな風に老いたいかのイメージを持ち、そこに至るために何が必要か次回までに考えてみましょう、という宿題を出したが、どうだろう。

餌付けのような教育ではないことを目指しているのだが。身体的な特徴もいろいろ差異があり、集団で学習支援することが向いているのかも悩ましい。

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因みに写真は母方の墓。

自己と責任と

体調管理も仕事のうち、と昔言われたのをよく思いだす。

昼過ぎまで元気だったのに、なんらかのアレルギー反応でダウンした。身体が敏感で、セーフティーネットみたくなっていて。

まあ、身体はよくできてるなと思うし、自然を感じる。

明日の予定には穴を空けたくないなあ。

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