学会の歩き方

学会参加の醍醐味の一つは、ロールモデルを探すことかもしれない。

 

大学院に入った頃、自分がやりたいことと他人がやっていること(他人のやってきたこと)との関係性がいまひとつわからなかった。自分の関心のあることを扱っている人はいないようだったし、同期先輩含め他の人のやっていることにさほど関心も持てず、どれを読んでも何を聞いても他人事、面白いと思わなかった。お恥ずかしい話である。

しかし、夏を過ぎ、修士1年で学会の大会に参加する機会があった。自分の研究はまだテーマも決まっていない。そのときの学会は地方開催だったので、航空券やホテルの手配は修士1年である私の役割だった。前日に指導教員に「学会の歩き方」を呑みながら教えてもらうという会があった。実習前教育のようなものだと思う。前日に、大会発表者の一覧を見ながら、明日から何を見るか、情報交換する会である。一覧は知らない名前ばかりだったので、私は勧められた研究者の発表と、タイトルが気になる発表とを聞くことにした。

学会大会やら研究会やらに行くと、いろいろなふるまいの人がいる。発表がスマートな人もいるし、ガチガチに緊張している人もいる。初めて行ったときは、聞く専なので、気楽だった。いくつか、思いの外面白いなあと思えるものや、「読んだことのある論文の著者だ」と思うこともあった。しかし、一番、印象に残っているのが、Iさんという人の発表だった。昔、別のブログに書いたような気もするが、なぜ印象に残っているかというと、機材トラブルでスライドが出なかったからだ。スライドが出ないにも関わらず、Iさんは、持っているハンドアウトを配布して、何の問題も無かったようにその発表を終わらせた。そして、その内容はとても面白かった。後日、その研究が雑誌に載ったので、私は論文のお手本として、構造を理解したくて書写してみた。その論文は、論文賞を後日受賞した。私の最初の投稿論文は、Iさんの論文の構成を真似して書いたものである。話したことは今でも挨拶程度なのだが、論文は何回でも読める。とても良い。

これが、私の学会参加の初体験である。

勿論、他にも、懇親会に出たり若手飲み会に行ったり、いろいろな人と話したり、あったのだけれど、やっぱり、危機に対処する力を見たのがとても鮮明な記憶になっている。私は今でも発表が得意ではないし、人前で話すのも好きではないけれど、それ以来、なるべくポスター発表ではなく口頭発表を選び、場数を踏んでスキルを上げたいと思うようになった。

あれからだいぶ時間がたって、研究会に出れば座長を指名されるという立場になった。今日は、同部屋の方の接続がうまくいかないというトラブルがあった。パソコンをお貸しすることで、発表を定刻通り済ませられるよう支援をした。そのとき、昔見たIさんのかっこいい姿を思い出していた。

 

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難しいことを易しく

昨日は、自分が所属していない学会から講演依頼をいただき、1時間お話してきました。テーマは、ワークショップおよびワークショップデザインについてなので、目下取り組んでいる研究とは一見異なって思われる方もあるかもしれません。しかし、実は、私が修士から取り組んでいることは、根底ではつながっています。

 

私は、学校外での学習に関心があるのですが、それは、何故かというと、「評価者−被評価者」という関係性が固定していない環境の中で起きる学習に関心があるからです。学校が嫌いなのでも憎いわけでもありません。(研究関心として)興味がそんなに無い、というだけです。ですから、私の関心ある学習者層は「大学生以上死ぬまでの人」と説明することがあります。実際にはこれは少し違っていて、学齢期でも、「評価者−被評価者」という関係性が固定していない環境に身をおいている学習者はおり、そしてそこでの学習には興味が持てます。

 

というわけで正直、自分のこどもが学校で何を学ぶのかについて、U12時代は特段の関心を持てないでいました。勿論、研究者としてではあるのですが、研究者であることは現状、私の大きな側面でもあるわけです。

 

ところが13歳というのはすごくて、それまで通じなかった話が、急に通じる気がしています。昨日行った講演の中では、いつもどおりA4紙を9等分にして、自分の気づきを書く活動をしました。その際、一番左枠は、参加動機、その隣は所属。名刺入れで隠してある真ん中は名前(もしくは呼ばれたい名前)です。他の枠は、講演の中で気になったことや面白かったことをキーワードで書いてもらうことにしました。

下の写真は、同伴した息子が書いたものです。

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講演後、息子からもいくつか質問があったので答えましたが、質問内容は、ある程度講演が理解できていないと出てこないものばかりだったので、興味深く思いました。普段、私は自分の仕事の話を彼に積極的にはしないのですが、もし私が彼用にカスタマイズした話し方をしたとしたら、彼はこのような理解もしないし、質問も考えなかったと思います。なぜならば、私は、彼の顔色や様子を見て、ペースや難易度を変えてしまうだろうからです。一対一でするよりも、一対多で聞いた方が良い時があるということは自分自身も痛感しており、今回も他人でそれを実感したということになりました。

 

普段、80代の一般の方にもワークショップデザインをお伝えするような仕事をしていますが、高齢の方だから理解してもらえないということは感じません。今回、13歳でも理解できるようだということを感じ、改めて、難しいことを易しく語れる技術の大切さを感じました。勿論、私の息子は私に関心があるという点において、特殊ケースであるわけですが、コンテンツの量やスピードについて、示唆を得ました。「中学生でも80歳でもわかるように話す、書く」というのは一つの目安で考えてもいいかもしれないと思いました。

 

勿論、全ての13歳、全ての80歳という話ではないのですが、どの層にもやる気のある人や、やってみたい潜在的な気持ちを持つ人はいるので、その人たちが「学習環境デザイン」という考え方にアクセスしやすいような物事を作っていければいいなと思いました。

 

最後に、「学校がワークショップだったらいいのに、それなら僕も頑張れるのに」と息子が言ったので、それはナンセンスだしつまらないことだと言いました。外というのは内があるから価値を持つのであり、学校外学習は学校があってこその魅力なのだろうと思います。目的に合わせて方法を選ぶこと、その方法が多ければ多いほど自由であることを、どのように13歳が腑に落ちていくのか、あるいはいかないのか。その辺りも、今後、観察していきたいと思っています。

はじめての

お世話になっている出版社の方から、連句会にお招きいただきました。

 

「レンク?」という状態だったので、そんなことできるかなあとは思ったのですが、信頼している方からのお誘いはスケジュールが合えば受ける、というルールを作っているので参加するというお返事をしました。その後、趣味を行う人の研究をする研究室の後輩と、暇を弄んでいる息子とを誘い、3人で行くことになりました。

 

季語集を買うように言われ、amazonで買ってもよかったのですが、少し他の本も見てみようかと思い、ジュンク堂連句連歌あたりのキーワードで本をザッピングしました。いくつか興味がある本がありましたが、購入したのは下記です。

はじめての連句―つくり方と楽しみ方

はじめての連句―つくり方と楽しみ方

 
連句・俳句季語辞典 十七季

連句・俳句季語辞典 十七季

 

 

結局仕事に追われてしまい、私は予備的知識を入れず、当日参加したのですが、息子は本を熟読したのでかなり面白かったみたいです。良いゲームにはルールがつきものなわけですが、「連句」にも、他者と共に遊ぶための、「くるたのしい(Hard-Fun)」なルールがありました。

 

簡単に言えば、

5・7・5

7・7

5・7・5

7・7

5・7・5

7・7

と、句を、チームメンバーとともに続けていく、その間にコンペティティブな要素があったり、前段からの制約や初期設定としての制約があったりして、創作を続けるという知的遊戯です。

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老いも若きも関係なく、季語集を引きながら、句を詠みます。「サバキ」という幹事的な役割の人がチームに1人いて、句を選んだり、進行をしたりします。「サバキ」とのやりとりの中で、新参者は多くのことを学びます。言葉の選択や感性は人それぞれなので、経験者であっても、他人の感性に触れ、新鮮な気づきを得るようです。古参者は、他者の句の改定に対する助言をすることがあります。

 

このシステムは、他の古典芸能にもあるのでしょうか。遊びの中に教育があることを感じました。また、競争的要素が入っていることから、切磋琢磨するモチベーションがあがるようです。息子も後輩も、随分と終了時、悔しがっていたのが印象的でした。もっとうまくなりたい、と彼らは言っていました。たった数時間の初体験が、そんな感覚を引き起こすというのは、興味深いと思いました。

 

ジュンク堂には、他にこんな本もありました。これは大方、本屋で読んでしまいました(スミマン…)。正岡子規が、連句連歌だったかもしれないです)は芸術的ではないと言ったとかいうくだりがあって、なるほどなあと思いました。おそらく、協働性、非計画性、即興性というのは、従来の芸術の枠組みから逸脱した、遊戯だったのだと思います。今では、芸術と遊戯の狭間にある活動が活性しており、そういった視点でも、連句は面白いと思いました。メディアアーティストである安斎さんの連画も、本の中で取り上げられていました。

可能性としての連歌

可能性としての連歌

 

 

というわけで、乗りかかった舟なので、また、連句の会に行ってみたいと思います。

 

追記:

Facebookで教えてもらいました。

連句雑俎(寺田寅彦

http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2461_11119.html

時を忘れて

何時間喋っていても、あまり疲れないという日がある。翌日、喉が痛いことで、気がつく。ああしゃべり続けたんだなあということを。

つい最近もそういうことがあって、1対1で、7時間喋り続けていたっぽくて、翌日、起きたら声が出なかった。バランスがおかしいよなあと。ここまでくると、いつも笑い話のようであるが、私にはそういう夜が1年に何度もある。

 

今回は、こちらの著者と。

仕掛学

仕掛学

 

話しやすくなる状況とか環境というのがあって、そういうのも「シカケ」と呼べるんだろうか。仕掛学は、教育工学や学習環境デザインに関心がある人は、もっと意識してもいいんじゃないかと思う。事象をどっちから見るかが違うだけで、かなり相互乗り入れできると思う。とにかく、楽しかった。

何か、共同研究ができるといいなと思っている。

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思想の自由に思うこと

親とものの考え方が違うというのは、昔から感じていたことなのだが、反論できるロジックを持たない10代の頃は黙ってやり過ごすしかなかった。あるいは、親の恩恵を受けて育てられているという時代に、思想の違いに言及することは、タブーだと思っていたかもしれない。

私は、政治信条について、正面から両親と話すことを控えている。だから、ここでもそれについてはっきり書く気はなく、日記を見て自分が思い出せる程度にしたい。

 

この記事を読んで、デジャブのような感覚を味わった。

synodos.jp

普段の生活にも、思想というのが垣間見えてしまうことがある。今年の年明け、会食の際、移民政策について私と父の考えが全く異なっていることがわかった。私は、そこで会話を切った。

 

幼い日と同じ、それが私のルールだ。勿論、私の思想に変わりはないけれど、その日は父が支払いをするわけで、そして年に何回も食事はしないし、私たちは生きている間にこれから何回食事をできるかわからない。だから、喧々諤々、議論する気など無かった。そこには息子もいたのだが、さあ、私と父の会話を息子はどう思って聞いたのだろう。何も気が付かなかったか、あるいは、溝を違和感として感じてしまったか。私は、議論する姿を見せるべきだったのか。

 

世代の差というのが家族にはある。必ず年長者の論理が正しいということもなく、ただ、そこには立場の違いというものがあって、それがしばしば発言力の違いにもつながっていて。だから、私はいつも何かを諦めている。だから、こんなところに書いている。ただただ、憂鬱だということを飲み込みながら。私はできることをやっていくしかないと思っていて、そのひとつの実現方向が、今の仕事にある。

 

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写真は「ラーニングフルエイジング:スライド展」。2016年1月6日、金田幸三撮影。本展示はJST-RISTEX持続可能な多世代共創社会のデザイン」研究開発領域 平成27年度採択プロジェクト企画調査「多世代で共に創る学習プログラム開発の検討」(研究代表者:森 玲奈 帝京大学高等教育開発センター 講師)の一環として開催した。

ひきこもごも

2月3月ともなると、あのひとはあっちに、このひとはこっちにという時期になります。私の身の回りでも、いろいろと移動がありそうです。もっともこれは日本特有なので、海外だと8月〜9月が人が移動する時期でしょうか。

 

新しいところに行くのはこわいと思っていた頃もありましたが、案外、行ったら行ったでなんとなかるものです。新しいところに行ってからは慣れるまでの数ヶ月は、仕事量が減りますが、まあ大丈夫なんです。人生、だいたい、辻褄があえばよいので。重要なのは、そこで何ができるかをよく見て、よく考え、やっていく精神。

 

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バレンタイン大作戦

すったもんだありましたが、息子を学校に送り届けました。いつでもいいよと思いながら、気になる日があり。なんとかそこに間に合わないかなあと思っていた気持ちがあったかもしれないです。

 

学年末試験も大事だけど、始業式に居るのが当たり前だけど。でも、もっと、もしかしたら、中学時代にしか無い、楽しい日ってあるんじゃないかなと思いました。

 

中学校に行く理由について、1ヶ月考え続ける日々でした。私はとっくにもう終わったはずなのに、子供と一緒にそれを考えたわけです。

 

そんな中で、私、中学って何が楽しかったんだろうと。

中学生活で大事なイベントって、バレンタインだったんじゃないかと。

 

私は小学校まで女子校、中学から共学に入ったので、もう、そういうのが楽しくってしょうがなかったです。

 

バレンタインはかなり前から始まっていて、一番よく覚えているのは、中学時代、図書委員だったので、図書新聞にバレンタイン特集を組んだこと。勝手に、バレンタインの歴史を調べるべく、都立図書館まで行って、古い新聞のマイクロフィルムをいちいち辿り、いつからバレンタインの広告は新聞に掲載されていたのかを調べて記事を書きました。

 

誰にあげるか、何をあげるかも楽しみですが、バレンタインというお祭りそのものが、楽しくって仕方ないわけです。それは、今でもそうで、気分が上がる時期です。

 

中学校に行けば、チョコレートが貰えるかもしれない。

貰えなくても、今年も貰えなかったよぅと男子同士慰めあうこともできる。

だから、中学校って楽しいんじゃないかなと思ったのでした。

 

 

それでは、皆様、素敵なバレンタインを過ごしましょう。

 

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