世の中には、深い思い入れがない方が容易く始められる、ということがある。
その最たる例は、私にとって仕事だろう。好きなことを仕事にしない方がいい、とはよく言ったもので、嫌いなことや苦手なことは続きにくいけれど、やっていく中で好きになっていくことというのは確実に存在する。
他者へ想い入れる気持ちが空回りして、(善かれと思って…)の応酬になってしまうと、そこには息苦しさしかない。私はそういう膠着状態を緩めていくというアプローチができないので、そうなるとばさっと切り捨てたくなってしまう。実際、思い入れた途端、そこには「思い入れた自分」が居るのであって、「対象」である「他者」は消えているような気がする。
どうにもならない想いを抱え悩み、悩んだ末には、だいたい1人で答えを決めてしまう。相談するという手順が無い。相談するといろいろ、他の道、穏便に済ませる、とかも出てくるのだと思う。ばさっと断るのは、決して戦略的に良いとは言えない。そうわかっていても、してしまうあたりが、不器用なのだなと思う。