マイクロチップ

私は首筋に、「教育」というマイクロチップを埋め込まれた。

 

生まれた時、親を選べなかった。家も選べなかった。

稼業が塾だった。私は、塾の行事である餅つきの手伝いをしたり、草野球観戦をしたりした。あとは学生の出すレポートを見たり、新しい先生とお喋りしたりもした。当時新しかった先生は、今、様々なところで働いている。私は、高校2年まで、塾で店番をしていた。

 

「八百屋の子は店番するでしょう。それならあなたも、塾で電話番をしコピーをとると良い。」そんなことを母に言われ、教材作りや添削のバイトをさせられるたび、理不尽な話だと思っていた。学校の同級生には、どうせ宿題やってもらってるからできるんだろうとか、作文が子どもの書く文じゃないとか言われていた。めんどくさかった。

 

その横で沢山の大人が私の話し相手になってくれていたことを、私はわかっていながらも、感謝することができなかった。学ぶことは好きだったのに、ひたすら、さっさと教育産業ではないところで仕事をしないと!と、思っていた。稼業を継ぐと思われると、いろいろ厄介に思ったのだ。

 

博士論文に向き合ったあたりから、マイクロチップに抗う気は無くなった。子であるということを逃れることはできないわけだけれど、親と同じことをするつもりは全くない。

 

私は、教育のチップがあっても、「学習」の話をしたいと思っている。

今は、選べることが、目の前に沢山ある。それは生きてきた証だろう。