兎角、世界はややこしい。
私は何色だと答えればよいのか、それを考えることに疲れてしまうので、あんまり考えないようにしている。
兎角、世界はややこしい。
私は何色だと答えればよいのか、それを考えることに疲れてしまうので、あんまり考えないようにしている。
私、あまり言語学習が得意では無いのです。それなのにやっているから、全然だめ。
近頃、人との別れ際に(誰とでも)Ciao!(イタリア語の、なんか万能な挨拶、万能だから会ったときも別れ際も使える) といいかけていて、かぶれ、みたいになるからやだなって思ってます。
今でもタクシーを降りたいときは、(フランス語で、ここ!という)Ici !が出るし、状況に結びつくものは、染み付いていて難しいです。19歳のとき、パリの路線バスで、何回も使わざるを得なかったからだと思います。
日本語をおさえて、口をつく言葉があるみたいな感覚。数字も、フランス語とイタリア語がごっちゃになってきて、ぎーってなります。
まあ、英語で染み付いたものというのはあまり無くて、それはそれで残念です。イタリア語をやると英語を音読するとき、おやおや、ってなるし、英語は意識していないと大変です。
しれっと出来るようになりたいのに、ずっと山を前に停滞している感じ。何をしなきゃいけないかは、薄々わかっているんですよ。ここを頑張らないとなあ。
息子と話していると面白い。
彼は、ものすごく、失うことを恐れる。
今大事にしているものが、なくなってしまうのではないかとか、それが変化してしまうのではないかとか、そういうことに怯えてナイーブになっている。
非常に興味深い。
話を聞いていると、私はたまに、少し意地悪がしたくなる。
「それ、全部無くなってしまうんだよ、いつか」って。「在る」なんて前提で生きていこうとするの、すごく不思議。
土砂降りの中、築地に行ってきました。
近頃よく思うのですが、東京生まれでも、私には行ったことの無いところがたくさんあるなあと。京王井の頭線とか、最近まで乗ったこと無かったものなあ。
すっかり出張欲も旅行欲も失せて、降りたことの無い駅、歩いたことの無い道、そういうことに惹かれています。
どうでもいいですが、お寿司ってもくもく食べるので、写真も撮らない感じになりますね。1まわり以上若い方でも、美味しいものを美味しいって言いながら食べる姿を見ていると、この人と今を一緒に過ごせて良かったなと思います。
美味しいっていうことを、きちんと人に伝えられるのは素敵なことだと思います。もちろん、美味しくないときも美味しくないって(相手には)伝えたいです。
(あたたかいサービスってなんだろう…)って、数日もやもやしていたのですが、何人かの「サービスをしている人」とそれについて話せてよかったです。
私個人としては、あたたかいサービスを受けたかったら、自分から積極的にコミュニケーションするようにしています。お互い人同士なんで、「サービスしてよね」ではだめだと思うんです。この件は、もう少し別のかたちで、また書きたいと思うんですが。
少しだけ、数日前のつかえが取れたような気がしました。
他人と比較してしまう癖がある人は、生きづらそうだ。
例えば、「あなたは〇〇、私は△△、真逆ですね。」みたいな話し方をされたとき、(それでなんですか?)という気持ちになる。そこだけ切り取って真逆だと言うことにあまり意味を感じないからだ。それ以外のコンテクストが全く無視された状態で考えてもどうなんだろうと。
いろいろとこの数日、嫌だなあと思うことがあり、実に昨日あたりから身体が固まってしまった。今朝は起き上がれなかった。熱もあるし節々も痛い。だいたい心理的なものから来ていると思うし、その原因である内容もいくつかわかっている。
私のことをよく思えない人というのはある程度たくさんいる。その人たちは、私に無理に関わろうとしなくてよいと思う。
世の中には、静かにブロック、とか、静かにアンフォロー、という方法がある。