本屋にて

日々、旅のようである。

 

新しい薬を飲み始めた。少し眠りが深くなり起きにくさを感じたのと、やや疲れやすさもある気がするが、気のせいかもしれない。記録が必要。

 

今日は昨日に引き続き、息子の面会に行き、外出許可を取って美容院に連れて行った。夏用に短く揃えた髪に、息子は、涼しい、と、うなじを度々触っていた。

それから本屋に行きたいと言うのでついて行った。来週から始まる分教室が楽しみらしい。病院のほかの子と、1時間と決めて自主勉強する時間を作っているのだとか。

参考書を一冊と、麻雀の入門書をねだられた。病院でやっているらしい。麻雀かあ、と懐かしく思った。私が高校1年のとき好きだった人も、よく部室で麻雀をしていた。麻雀、なにが面白いのかわからないから、ちらちら見ていただけだけれど、男の人にはそういう、コミュニケーションの取り方があるのかなとか思っていた。だから、息子の志向が1人でやることから誰かとやること、目的が明確なものからややゆるいもの、へと活動幅が広がっていくことは、大変興味深い変化だなと思い見ていた。入院生活の中で日々成長する息子、それを意識的に観察し医師や看護師と共有できるのは、実に、悪くない。

ただ、ふと、LGBT+のような場合、男子病棟、女子病棟という括りは、どうなるんだろうなあと思った。今度、聞いてみよう。

 

久々に私も本屋をふらふら、面白そうな本を衝動買いした。最近、研究に関係ない本、小説、漫画なんかも読むようになった。 

 

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陽の光

研究のことを考えていると、とても前向きになることができる。

私は非常に豊かな経験をしたのだと、いつも母校に感謝する。多分、生きていくのに必要なことを、私は大学院で学んだ。学ぶことは人を強く、そしてしなやかにする。そういう実感が自分にもあるので、成人学習の研究を進めています、とはっきり言えるようになった。

 

病院(自分)のあと、病院(子供)という予定でいたが、合間で、なぜか大学に来ている。研究費の新規申請でどうしてもPCを使う必要があったからだ。新しい案件に誘っていただいた。勿論、予算が取れなければ始まらないかもしれないが、まあ、構想があるということは次につながるかもしれないわけだし、5年前なら100%誘われなかった案件、自分は着実に成長の機会を掴んでいると思う。

とりあえず出身研究室はとっくに「出て」しまったし、同じ関心、思想的方向性の中で、自分と違うコネクションや方法を持っている人と出逢い、学び取っていかねばならない。そのために、有限な時間の中で、付き合いも働き方も随時見直し、時には大きく変えていかなければならない。

 

気分の波はまだ多いにあるし、苦手なことも多い、そして何より支えなければならない者も居る状態、それでも仕事(研究)だけは進むという不思議がある。これはとても良いことで、自己肯定感が上がっていく。研究職に着くまでの人生を考えると、正直、まともなかたちで、日の当たる場所で働けるとも思っていなかったところがあり、まだ太陽は私に眩しすぎる。ただ、恵まれた環境で仕事ができることを素直に感謝し、それと同時に、自分への期待を強い重責と思わずに過ごせるようなくらいにはなった(適度に期待値を下げることもしている気がするけど)

 

私にとって、大学院や大学という職場は救いだったと言える。これで仕事(研究)が無かったら、人生の楽しみの多くを失ってしまう。この生活はしばらくは維持したいなあとしみじみ思う。

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縮める

いくつか、近々、大きな決断をしなくてはならない。

 

しかし、今は調子が悪いため、先延ばしにしている。判断を調子が悪いときにしない方がいいと聞いたことがあるからだ。私は取り返しのつかない大きな決断を、すぱっとしがちだ。だから、慎重にとは思う、それでも、先延ばしにしていることそのもので息苦しくもなっている。すぱっと判断して受けとめる方が私には慣れているのか。

 

誰かに話すと、話した相手にも負担をかける。何を考えていて、何を決められないか、大事な人には、大事であるから話せない。どう思われるか、相手がどんな気持ちになるか、不安になる。だから、基本的にはずっと黙っている。

 

話せないと、息苦しくなる。代替で、話しても差し支えない場所、つまり、プロに話さなければならない。連休はそういうプロが仕事を休んでいる。だから連休はやり過ごさなければならない。本当は関西出張にも行きたくない。でも、きっと行った方がいい。何かをしていた方が、長期的にはいいからだ。

 

昨夜、映画のチケットを購入した。今日は1日だから映画のチケットが安い。朝起きて、一日をどうやり過ごすかを考える。とりあえず、明日、5月2日までやり過ごさなければならない。

 

大事な人が辛い想いをしている、支えるのは無理でも、何かをしたい。何かをしたいと真面目に考えてよく詰まる。責任を有限、かつミニマルにして進むのが現実的だろう。私は、できがよくないからだ。

 

そう考えていくと、自分は自分の為に生きることしかできないのではないかと思う。他人と関わるのは自分の為になるかが判断基準になるだろうか。

 

私の周りには、他人の為、社会の為に、をミッションにした仕事をしている人が沢山いる。中には、手弁当でやっていこうとまで思う人もいる。私は、そういうことができない。さりとて、こわくて、開き直ることもできない。

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タイムカプセル

タイムカプセルを2人で山奥に埋めて、みたいなお話に憧れることがある。

 

数年前、父がやんやと連絡してきて「あなたたちの荷物を処分する前に見に来て欲しい」と言ってきた。こちらも忙しいのに、なんで急かすのかとは思ったが、娘と妻の荷物を自宅から一掃し、改装すると言っていた。当時、私の母は介護を理由に祖母宅に同居を始め、もう実家には帰らない様子になっていた。

 

私は、19から実家を出てしまった。久々に見た大量の衣類と書類をオール破棄とし、本を3分の1くらい大学に送った。大学入学時から、自分史として購読し始めた雑誌のバックナンバーは数冊残した。最後まで、高校時代に買い集めた皿のことが気になったが、それは整理対象に入っておらず、既に破棄された可能性も高かった。

 

 

新しい世帯を持つということ。

私は今は、世帯主である。それは親からしたら、さっさとこっちからはゼロにしてね、という話だったんだと思う。解散みたいな感じ。

世帯を分かつ、そのあとは、もう、なんか別に生きていくんだなという感じ。

 

 

分かつところで、私ってなあに?という壮大な問題とともに、あらゆる、学生時代の記憶を消した。卒アルも証書も色紙も保管していない。文集とかも捨てた。なにもかも、捨ててしまいたかった。現在を構成するものが過去かもしれないが、それは全部私の血になり、内化されたと思っているし、むしろルーツなんか考えたくもなかった。私は、今しか見たくないのだろう。

 

物に執着しない方だが、手紙と長年のスケジュール帳、だけはどうしても持っておきたいものがあり、それらは今は職場の引き出しがそういうものを保管する場所になっている。転職するとき、また考えるのかもしれない。

 

ただ、突然この世を去るとき、手紙や手帳が他人の目に触れるのは照れ臭いなと思う。まあ、その時私は居ないからよいのかしら。そういえば、10代の交換日記を処分した記憶がない。あれはまだ実家にあるのか。考えたくないな。

 

私が他界したら誰かが哀しむか、とかも考えていた。残念だ、とは言うかもしれないが、哀しむ人はそんな居ない気がする。

 

40年、淡々とやってきたけれど、私がここにいなきゃいけない意味って無いなあと思ってしまった。まあ、投げられた球、慣性の法則みたいな感じで、日々を送っているだけなのだ。

 

でも、とりあえず、目先の、楽しいことを考えよう。そして、楽しかったことを書き留めよう。私は私のために。

 

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後ろから来るもの

この数日、調子が悪かった。楽しみにすればするほど、すれ違ってしまう感じとか。テンションをコントロールするのが難しかった。

好き過ぎて意地悪しまくるという学生時代があった。気を引きたいというのが空回りしてしまう感じで、なんとも可愛げがない。それが成立しうるのはお話の中だけで、実際にそんな振る舞いをしたら単なる嫌な奴だ。

多分、当時の私は、加速する気持ちに向き合うのがこわくて、自ら嫌われることで逃げたかったような気がする。

今でも、楽しみにし過ぎると、さんざん支度したのに、どうにも行きたくなくなる時があって、行きたくないなと思って、だんだん動けなくなる時がある。軽い気持ちであると、さっと動けるのに、不思議な話である。

後ろは振り返らない、過ぎたことはいいの、と言われ、オルフェウスの神話を思い出した。

私は、ものすごく振り返り人間で、それで得たものもたくさんあるのだけれど、私に必要なのは、過去を赦してくれる人のようにも思う。