Instagramを使いだした。
これまでは見るだけだったが、使ってみると、なるほど。写真のフィルターがいい感じだ。
それと、見ず知らずの人が、いいねしてくる。Twitterに似た感じはある。プロフィールを「調理室」のURLにしていたら、アクセスすごく跳ねてた。おそるべし。
しかし、大学生が使うような、テキストだけのやつとか、あんまりピンと来ないなあ。
少しレトロな、祖父のアルバムを見ているような感覚になる。不思議。
学生さんからの研究に関する相談やインタビュー依頼には、できるだけ答えるようにしている。
忌引き明け最初の用事も、東大の院生の方からのインタビュー依頼だった。当初、サイエンスカフェ主催者へのインタビューというようなものだったが、私は「サイエンスカフェ」として東大でも帝京大でも、カフェイベントを企画したことは無い。それはアイデンティティの問題なので、そういう前置きをしなくてはならない。
その上で、サイエンスカフェに取り組む大学院生や若手研究者とそれを取り巻く環境には興味があるし、主催者に対する調査を行ったこともあるので、そこから考えていることや知っていることをお話した。
興味深いことの1つに、サイエンスカフェをしたいと思う人は非常に少数派であり、彼らの「外に研究活動をひらきたい」という気持ちは所属組織の中での無関心あるいはネガティブな反応によって継続できなくなるという事例が少なくないことがある。
研究者が外と繋がらなければならないというのは、もはや私としては反論余地ないところだと思うが、それはリベラリストの建前であり、では何のアクションをするのか、アクションにどんなリソースを割くのかというと、まるで違った話になってくる。
限られた24h/1day あるいは 7days/1w の、全てのリソースを賭して研究を続けることで、研究の真の目的に近づけるのかもしれない。さらには、不安定な雇用の中で、若手研究者は1本でも多くの業績を出して、そのプレゼンスを示していかねばならない。それを経験してきた世代は、自分もそうしてきたからこそ、自分の弟子や部下の余暇やライフを、制約したくなる。競争的にポストや資金を得るという研究活動そのものを支える文化もある。
“市民向けの活動や研究のアウトリーチをするなら、研究も全力でやっていけ”というのが、表ルールだろうけれど、その全力というのがもし全てのリソースを賭すと想定されるのが裏ルールなら、この両立は難しいと言わざるを得ない。
表向きやっていかねばならない、やるのがいいと言い、でも実際には割けない・割かない。これはどこかにも同じ構造があるよなと思う。例えばワーク・ライフ・バランスの話だ。そもそも、バランスという考え方が何処かで破綻してしまう在り方だ。
研究者が研究をひらき、社会と繋がろうとするのは当たり前のこと。そうなるのはいつなのだろう。そう考えると、おそらく、実践してきた若手研究者が、こんなに自分はその経験を通じていろいろなものを得たのだと発言し、さらに後進の憧れとなること、それが最も近道なのではないかと思った。
祖母が他界した際、看取りに来た息子が、涙が出ないことを気にしていました。14歳にとり、近しい人の死は経験の乏しいものであり。それは、親族付き合いをしない私も似たようなものでした。
深夜に病院で、正式に死を告げられてからの数時間が、私には新鮮で、興味深いものでした。息子がしきりと、祖母の身に施されることについて様々な疑問をぶつけるので、神妙な雰囲気の中、私は笑いが止まらなくなってしまいました。
病院だったので、マスクをつけるよう指示されていて、笑いはマスクの下にありましたが、目から溢れる涙は堪えられませんでした。笑い過ぎました。息子は、笑われたのを怒っていました。彼もまた、大真面目に言っているのに何故、母は笑うのかと憤慨するわけです。
帰り道、私はどこか可笑しな人間かもなと思いました。祖母の死は悼んでいるのですが、会話の方が気になってしまう。
でも、考えても仕方ないのです。
祖母のことを考えていたら、つい、ヒヤシンスを買っていました。うちでは育てられないから、育てられそうな人に、あげました。
祖母の葬儀があると考えはじめてから、心身が不調になった。吐き気がして、頭が痛くなり、悪夢にうなされた。天敵の叔父が、喪主になると聞いたからだ。
血縁とは何なのだろうと思う。血縁だから赦せと言われてもうまくいかない。それこそ、良かれと思ってのことだったと言われても、まだ昨日のことのように痛む。
必死で自分を落ち着けている。読んだり書いたりしていれば落ち着く。
あと1回、悩まねばならないタイミングが来るかもしれない。それは母の葬儀だ。叔父が先にこの世を去るか、母が先か。それとも、私か。ここは苦しいところである。
しかし、この何年もの間に、私は少なくとも私の父と母にいろいろなことを諦めてもらったと思う。その結果、非常に生きやすくなった。
祖母の心臓が止まったと伝えた時、父が、「順番だ」と言っていた。
順番から言えば自分だ、ということなのだろう。
私はそんな順番どうでもいい。私が先でも構わない、どうかこの先、叔父に会わずに私の生涯を送らせてほしいと願っている。