思想の自由に思うこと

親とものの考え方が違うというのは、昔から感じていたことなのだが、反論できるロジックを持たない10代の頃は黙ってやり過ごすしかなかった。あるいは、親の恩恵を受けて育てられているという時代に、思想の違いに言及することは、タブーだと思っていたかもしれない。

私は、政治信条について、正面から両親と話すことを控えている。だから、ここでもそれについてはっきり書く気はなく、日記を見て自分が思い出せる程度にしたい。

 

この記事を読んで、デジャブのような感覚を味わった。

synodos.jp

普段の生活にも、思想というのが垣間見えてしまうことがある。今年の年明け、会食の際、移民政策について私と父の考えが全く異なっていることがわかった。私は、そこで会話を切った。

 

幼い日と同じ、それが私のルールだ。勿論、私の思想に変わりはないけれど、その日は父が支払いをするわけで、そして年に何回も食事はしないし、私たちは生きている間にこれから何回食事をできるかわからない。だから、喧々諤々、議論する気など無かった。そこには息子もいたのだが、さあ、私と父の会話を息子はどう思って聞いたのだろう。何も気が付かなかったか、あるいは、溝を違和感として感じてしまったか。私は、議論する姿を見せるべきだったのか。

 

世代の差というのが家族にはある。必ず年長者の論理が正しいということもなく、ただ、そこには立場の違いというものがあって、それがしばしば発言力の違いにもつながっていて。だから、私はいつも何かを諦めている。だから、こんなところに書いている。ただただ、憂鬱だということを飲み込みながら。私はできることをやっていくしかないと思っていて、そのひとつの実現方向が、今の仕事にある。

 

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写真は「ラーニングフルエイジング:スライド展」。2016年1月6日、金田幸三撮影。本展示はJST-RISTEX持続可能な多世代共創社会のデザイン」研究開発領域 平成27年度採択プロジェクト企画調査「多世代で共に創る学習プログラム開発の検討」(研究代表者:森 玲奈 帝京大学高等教育開発センター 講師)の一環として開催した。

ひきこもごも

2月3月ともなると、あのひとはあっちに、このひとはこっちにという時期になります。私の身の回りでも、いろいろと移動がありそうです。もっともこれは日本特有なので、海外だと8月〜9月が人が移動する時期でしょうか。

 

新しいところに行くのはこわいと思っていた頃もありましたが、案外、行ったら行ったでなんとなかるものです。新しいところに行ってからは慣れるまでの数ヶ月は、仕事量が減りますが、まあ大丈夫なんです。人生、だいたい、辻褄があえばよいので。重要なのは、そこで何ができるかをよく見て、よく考え、やっていく精神。

 

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バレンタイン大作戦

すったもんだありましたが、息子を学校に送り届けました。いつでもいいよと思いながら、気になる日があり。なんとかそこに間に合わないかなあと思っていた気持ちがあったかもしれないです。

 

学年末試験も大事だけど、始業式に居るのが当たり前だけど。でも、もっと、もしかしたら、中学時代にしか無い、楽しい日ってあるんじゃないかなと思いました。

 

中学校に行く理由について、1ヶ月考え続ける日々でした。私はとっくにもう終わったはずなのに、子供と一緒にそれを考えたわけです。

 

そんな中で、私、中学って何が楽しかったんだろうと。

中学生活で大事なイベントって、バレンタインだったんじゃないかと。

 

私は小学校まで女子校、中学から共学に入ったので、もう、そういうのが楽しくってしょうがなかったです。

 

バレンタインはかなり前から始まっていて、一番よく覚えているのは、中学時代、図書委員だったので、図書新聞にバレンタイン特集を組んだこと。勝手に、バレンタインの歴史を調べるべく、都立図書館まで行って、古い新聞のマイクロフィルムをいちいち辿り、いつからバレンタインの広告は新聞に掲載されていたのかを調べて記事を書きました。

 

誰にあげるか、何をあげるかも楽しみですが、バレンタインというお祭りそのものが、楽しくって仕方ないわけです。それは、今でもそうで、気分が上がる時期です。

 

中学校に行けば、チョコレートが貰えるかもしれない。

貰えなくても、今年も貰えなかったよぅと男子同士慰めあうこともできる。

だから、中学校って楽しいんじゃないかなと思ったのでした。

 

 

それでは、皆様、素敵なバレンタインを過ごしましょう。

 

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不安とのつきあい方

明日は早起きなので、書いている場合ではないと思いつつ。でも、書いておきたかった。明日、また大きな出来事があったら、すっと消えてしまいそうな、今日の感動を。

 

先日、『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもだち』という映画を息子と観た。(この日記は、ほんの少しだけ映画の中身に触れます)

www.foxmovies-jp.com

以来、お化けがでるのではないかと怖がる息子。13歳男子ってそんなもの?

 

でも、まあ、こわいなら仕方ない。

これ以外にも、彼には、「不安」があるという。

不安だ不安だ、辛い辛いというので、何が辛いのか聞いていくことを1ヶ月繰り返した結果、彼の不安は大きく3つあるそうだ。

①友達や人に嫌われること。

ダンボールで外に暮らすこと。

③戦争が起きること。(最初は国が無くなること、だったが、話し合いで修正された)

 

 

①、これはしょうがない。そういうことは、必ずあるもの。しかし、人に嫌われないために、大事な人のことを思いやろう、という話をした。その上で、万人に好かれることはないので、それを目標にしないでいいだろうという意見を言った。

②、これは貧困を指していることがわかったので、そのリスクが下がる生き方をすることを勧めた。具体的には、これからどのような経済状態が来て、どんな仕事や働き方がありうるか、それに向けて、まずは力をつけなければならないと。

③、これは大変難しいし、私も戦争が起きるかもしれないと思う。そのリスクを下げていけることが何か、考えるけれど、息子が言うとおり、(僕一人では無理だよ・・・)という気持ちになることもある。しかし、私からしたら、気に入らない人と喧嘩をするとか、相手が嫌なことをするとか、暴力とか、そういことを一人一人が控えていくことも、戦争が起きないようにする、一歩じゃないかと思う。だからそういう話をした。

 

不安というのはとても大事な感情で、なぜならば、不安というのは気にしているということだから、今後ののびしろでもあると思う。裏返せば、大事なことだってことだ。

そういう、人生における大事なことが見つかってきたってことは、さすが、13歳だと思うし、大きくなったんだなあと思う。

 

その上で、私は、(1)不安とともに生きること、(2)不安とつきあうこと、について話した。前者は、不安を受け容れることで、そして、それとともに在ること。後者は、不安を解決の対象と決め込まず、まずは不安の実態を知ること。仲良くするには、相手を知ることからだから、不安という抽象レベルにしておくんじゃなくて、具体的に何がそれを構成しているのか、それはどういう特性をもつのか、自分と不安とはどう共生できそうか考えていく。

 

私はそんなふうにして、不安だけれど生きているよ、という話をした。

でも不安は消えないよ?と狐につままれたような顔をしていたので、もしかしたら私の話は詭弁だったかもしれない。

 

しかし、ミス・ペレグリンとそのこどもたちは、最後に敵を倒す。

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見えない敵を見える化するという方略を彼らは使う。これは非常に示唆に富むと思う。倒した後、世界中から敵がいなくなったわけではないのに、こんな感じのことを言った。「もう大丈夫、勇気があるから。」まだ敵はいても、来たら立ち向かえばいいと思っていれば、その時点で関係性がまるで変わっていると思う。

 

少しだけ、彼にも勇気が身につくといいと思う。

私にとって、勇気とは知性なのだけれど。

冬眠

来る春の嵐に備えて、ただいま、冬眠中です。

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写真は、原美術館で開催された、篠山紀信展 「快楽の館」で、唯一撮影可能エリアだった庭にて撮ったものです。最終日である2017年1月9日来訪しました。閉館までいたら、篠山氏も見かけました。

 

ところで。例えば、眠ることって、最高の快楽だよね。

この写真展で、快楽の捉え方に対し薄っぺらさを感じたのを今更、思いだしました。

www.cinra.net

久しぶりにシャネルの口紅を買った。

真っ赤な口紅を買った。

それって、案外見破られるものなんだなという気がした。

いつも赤い口紅をつけているのに、それでも、なんだか今日は違うのだろう。

それはきっと、私が違ったのだろう。

赤い口紅を買ってきた私は、何か違ったのだろう。

 

1年前は、その口紅、赤すぎるんじゃないかと言われたものだった。

今は、それが私に馴染んで、

いや、私が何かを変えて、それを馴染ませて。

ゆがんだ口でそれを見て。

 

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時の単位

今日はどうか、昨日はどうか。

そういうことの積み重ねの先に明日があることは間違いない。けれど、大きな仕事をするということは、少しだけ、時の読み方を変えることでもある気がする。

 

先日、ご縁があって、とある企業の研究会で講演をさせていただく機会があった。とても手応えある2時間になった。しかし、その手応えの背景には、これまでの関係性があり、そして、私が先方を知るプロセスがあり。だからこそ、話し方、話す内容を、充分、カスタマイズできたのだと思う。

 

その企業と初めて関わったのは大学院生の時だったので、聴衆の中には、私が学生時代にお会いした方もあった。その頃の私が、彼にどんな風に見えていたかはわからないけれど、なりゆきで立派なお店ですき焼きをご馳走になったという想い出がある。興味があって、聞いてみた。

「まちづくり、再開発の仕事というのは、もちろん、終わりはないというのはわかっているのですが、だいたい、どのくらいで一段落するものなんですか。」

「20年ですね、昔は10年くらいだったんですが。」

それから、少し書けないような話もしたのだが、兎に角、その、20という数字に、圧倒された。これまで10年やってきた案件がかたちになりそうだとか。気の遠くなりそうな話だけれど、それをやっていく人たちがいるんだなあと関心した。

 

私たち教育研究だって、本当はもっと長いスパンのことを考えている必要があるはずで。今日どうだ、半年でどうだと、勿論、刻々と変化は見られるけれど、でも人が育っていくのも大きな時間の中で、ゆったりと構えてみていけたらもっと面白い気がしていて。だから私はキャリアヒストリーとか、長期スパンでの熟達とかに関心があるんだろうなあ。

 

自分自身をとってみても、確かに、過去は現在につながっているのだけれど、時々、そのつながりが見えなくなって、足元が不安に思えることもある。昨日が今日につながっているかは疑わしい。もう少し大きいブロックで考える必要がある。

 

この前の読書会にきた高校生も、大学生も、大学院生も、私は彼らと出逢った時のことをよく覚えていた。中には付き合いが長くなってきた人もいる。私は、これからもずっと彼らを見ていけたらなあと思う。それ以外でも、勉強会やイベントや、授業や、出逢った人の中で、その後どうなっているかなあと思うことはよくある。真面目にやったり、うまくいかない時期があったり。いろいろあるかもしれないけれど、きっと、長い時間の中で考えれば誤差のようなことも沢山ある。

 

これから、後半の人生では、長いスパンで仕事ができると思う。大きな仕事と言うべきかもしれない。今度は、その大きな仕事、長いスパンの中に、どのような小さなステップを見出すか、もしくは見せていくか、というのも腕の見せどころかもしれない。

 

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(写真は、トレポーターというスウェーデンの多世代型コレクティブハウスの中にある共有のこどものあそび部屋。筆者撮影。)