不安とのつきあい方

明日は早起きなので、書いている場合ではないと思いつつ。でも、書いておきたかった。明日、また大きな出来事があったら、すっと消えてしまいそうな、今日の感動を。

 

先日、『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもだち』という映画を息子と観た。(この日記は、ほんの少しだけ映画の中身に触れます)

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以来、お化けがでるのではないかと怖がる息子。13歳男子ってそんなもの?

 

でも、まあ、こわいなら仕方ない。

これ以外にも、彼には、「不安」があるという。

不安だ不安だ、辛い辛いというので、何が辛いのか聞いていくことを1ヶ月繰り返した結果、彼の不安は大きく3つあるそうだ。

①友達や人に嫌われること。

ダンボールで外に暮らすこと。

③戦争が起きること。(最初は国が無くなること、だったが、話し合いで修正された)

 

 

①、これはしょうがない。そういうことは、必ずあるもの。しかし、人に嫌われないために、大事な人のことを思いやろう、という話をした。その上で、万人に好かれることはないので、それを目標にしないでいいだろうという意見を言った。

②、これは貧困を指していることがわかったので、そのリスクが下がる生き方をすることを勧めた。具体的には、これからどのような経済状態が来て、どんな仕事や働き方がありうるか、それに向けて、まずは力をつけなければならないと。

③、これは大変難しいし、私も戦争が起きるかもしれないと思う。そのリスクを下げていけることが何か、考えるけれど、息子が言うとおり、(僕一人では無理だよ・・・)という気持ちになることもある。しかし、私からしたら、気に入らない人と喧嘩をするとか、相手が嫌なことをするとか、暴力とか、そういことを一人一人が控えていくことも、戦争が起きないようにする、一歩じゃないかと思う。だからそういう話をした。

 

不安というのはとても大事な感情で、なぜならば、不安というのは気にしているということだから、今後ののびしろでもあると思う。裏返せば、大事なことだってことだ。

そういう、人生における大事なことが見つかってきたってことは、さすが、13歳だと思うし、大きくなったんだなあと思う。

 

その上で、私は、(1)不安とともに生きること、(2)不安とつきあうこと、について話した。前者は、不安を受け容れることで、そして、それとともに在ること。後者は、不安を解決の対象と決め込まず、まずは不安の実態を知ること。仲良くするには、相手を知ることからだから、不安という抽象レベルにしておくんじゃなくて、具体的に何がそれを構成しているのか、それはどういう特性をもつのか、自分と不安とはどう共生できそうか考えていく。

 

私はそんなふうにして、不安だけれど生きているよ、という話をした。

でも不安は消えないよ?と狐につままれたような顔をしていたので、もしかしたら私の話は詭弁だったかもしれない。

 

しかし、ミス・ペレグリンとそのこどもたちは、最後に敵を倒す。

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見えない敵を見える化するという方略を彼らは使う。これは非常に示唆に富むと思う。倒した後、世界中から敵がいなくなったわけではないのに、こんな感じのことを言った。「もう大丈夫、勇気があるから。」まだ敵はいても、来たら立ち向かえばいいと思っていれば、その時点で関係性がまるで変わっていると思う。

 

少しだけ、彼にも勇気が身につくといいと思う。

私にとって、勇気とは知性なのだけれど。