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存在が不遜

職場のメールボックスを見に行くといろいろな手紙が届いていた。中には感激するようなものもあって、ああ、私は人間関係に恵まれているなあと思う次第である。

 私はとても恵まれているという自覚をしており、常に感謝の気持ちを表現していきたいと思うとともに、自分のできる範囲での最も面白い仕事をすることで、それを社会に還元していきたいと…

と、ここまで書いたところで、私の想定している「社会」というのは何であろうか、と、また考えるわけである。

 

私は今、英会話に週一行くのが楽しみで、それは90分、そのときに話したいテーマでディスカッションしているのだけれど(例えば、過労死とブラック企業とか、例えばPresentationとLectureの本質的な差異とか、大学教育の中におけるPublic Speaking教育の意義とか)今週は、目下気になっている、例のデータの話だった。

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日本は111位で、アメリカは45位。今ずっと見てもらっている講師の方はアメリカ人なので、このデータについて説明した後で、アメリカのジェンダーギャップについてどのような印象を持つかというのを聞いてみた。

彼はとっても言葉を選びながら、アメリカの歴史を踏まえて話をしてくれた。時折、パソコンでアメリカの地図を見ながら、いろいろな事情を話してくれて、私はアメリカの地名や地理を表層的にしか理解していないけれど、場所によって様々な事情があるんだなとか、そもそもアメリカって広いとか、広いのに一つの国なのってやっぱり信じがたいとか、考えていた。

 

南部と北部でジェンダーギャップの在り方が違う、もし北部だけでデータを取ったらもっと順位は上だろうという彼の話は興味深かった。「南部では女性を丁寧に大切に扱うんだ、物のようにね。だから男性は女性を着飾らせるし椅子はひくけれど、意見は聞かない。」と聞いたとき、ぞっとしたけれど、そういうことって、やっぱりどこの国でもあるんだなあと思った。

 

そして、日本に生まれたら云々というよりも、アメリカで生まれても場所によるんだろう。でも生まれる場所は選べない、だから残念な話なんだなと思った。概してどうかという議論と、モザイク的な状況でどうかという話は別もので、国家というのはそういうものをたまに見えにくくさせているのではないか。

 

私は、高校生のとき、近所の公立高校の出身者に「こいつは俺らのことを馬鹿にしているはずだ。だってこいつの高校は有名高校で東大にたくさん行くような学校なんだ」と絡まれたことがあって、すごく残念な気持ちになったことがある。存在しているだけで馬鹿にしていることにされてしまうことが、よくあるのだ。先日も「あなたのような見た目で職業だと、そこに居るだけで不遜だと思われるんだから、男の下手に出てちょうどなのよ。うまく生きて行きなさい」と言われたばかりである。

 

人生の随所で、そういう、ものすごい圧みたいなものに出くわすことがあって、私は普段それを見ないようにして生活しているわけだけれど、それは気にしていると苦しいからだ。私は、社会が何かわからないのでどのように社会と関わればいいのかいつも悩むけれど、せめて、目の前に居る人には、自分の素直な気持ちや考えを話そうと思う。

 

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