読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

かかわり

後輩のSNSはあまり見ないようにしているのだけれどSNSは時々いや頻繁に、心身に悪い)、数人だけ見ていて。その中に、RTしてる本や論文が楽しみで見ている人がいる。本人にそのことを伝えたことは無いのだけれど、まあ、私がそれを見ていることは知っているだろう(でもそのことに興味はないだろう)。私は、彼女が紹介している文献は、8割がた、買ったり落としたりして読む。彼女とは数年前から関心が非常に近いのかもしれない、あるいは今かなり近いのかもしれない。出身研究室関係者で、グループダイナミクスっぽい本を読む人はどのくらい居る/居たのだろう。

彼女は(これまた詮索しないようにしているけれど)面白そうな博論を書いているはずなので、それが刊行されるのを楽しみにしている。でも、言わない。気づいたら提出されており、気づいたら本になっているだろう。そして私は、またそれを、黙って買うのだろう。

 

プロフィール文をふと見たら、「『かかわりの中で学ぶ』を軸にあらゆる学習環境を調査していきたいと考えています。」と書かれてあって、好感を持った。もっとも、そういう人だったっけとか、前は違うプロフィール文だったよな、前のも嫌いじゃなかったんだけどなとか、でも、何らかの覚悟のようなものができたんだろうなとか、そんなことを見ていて思った。話しかけてみようかとも思ったが、所詮@で話しかけても、ごきげんよう、みたいな感じにしかならないわけで、やめた。

それにしても、「あらゆる学習環境を調査していきたい」というのは大きな野望と見るべきか、悟りのようなものだと捉えるべきなのか。何を考えているんだろうとすこぶる興味が湧く。でも、私は尋ねないだろう

 

彼女とは、ゼミに居た時からあまり話したことがなかった。一緒に仕事をしてみたいと思ったことがあるが、私の度量が狭いため、結果的に彼女とは進めることができなかった。当分一緒に何かをすることはないだろう、いやずっと無いかもしれない。しかし、私は、彼女の読者にはなりたいと思っている。あまり後輩に対してそういう考えを持ったことがない。たぶん、私が彼女には「積極的には関わらない」ということである。彼女は、私にとっては「そこ」に居るだけで十分で。無論、「そこ」とは、彼女が今居る「どこか」のことである。それ以上でも以下でもない。

 

「関わる」というのは難しいことだ。関わらないことの中に、稀有にもある出来事のように思う。関わったつもりがなくても、「かかわり」というのは勝手にできていくので。兎角、厄介である。彼女とは関わろうとしていないけれど、「かかわり」は、確実に在るのである。正確に覚えてはないが、中学か高校(あるいはその両方)も一緒らしいし、ゼミが一緒だったわけだし、結果論として今私が就職した場所は彼女の研究テーマに少しだけ近い領域だろう。

「かかわり」は、自分の知らないところでどんどんできていくもので、甘受したもの勝ちなのかもしれない。あるいは、様々な点において不可避なこと、その中で、どの「かかわり」に気がついたか、そこで何を知ったか。