ひと休み・ブログでも

状況としては、博士論文第二次予備審査中。

のまま、1年と数ヶ月待っていただいたことになる。

原因は体調不良だった。申し訳無い。やっと秋から回復し執筆も再開。

 

そんな中、12月がもう2日過ぎていた。提出リミットが近づいてきた。爆発する。。。あと10日で書き終えないと、かなりまずい。スケジュール的に辻褄が合わないと思う。

 

量を勢いでがっと書くのではなく、修正し質向上をはかるときの方が、数段疲れるし、時間がかかる。書いては直し、書いては直しで進んでいるのか実感が湧かない。とても孤独な作業で、気分は積んでいる。でも翌日読み直すとどんどん良くなっている感はある。迷わず自分が切ったスケジュールで書き進めて行くのみ、である。方向性は変わらない。

 

あと何日あれば終わる、寧ろあと何日で終えたところまででそれが今の私。大事なのは、そこで終える、ということかもしれない。

 

博論執筆は、これまで数年間で「できてきたこと」の丁寧な説明の時間、という気がしてきた。それは「できていないこと」を見つめることでもある。自分の現状と向き合う訓練なのではないかという気さえしてくる。私には、「できていないこと」を認める勇気も足りていなかったし、「できてきたこと」に対する意味解釈も不全だったのではないかと思う。ようやく、あなたのやってきた仕事は一言で言うと何、に即答えられるようになった(先日、副指導教員に聞かれた。)。

 

言葉遣いを迷わなくなってきた。今まで借り物でお茶を濁してきた件、諸処の定義問題を自分の言葉で書き直し、やっと地に足がついた感じである。

 

先週風邪を引くなど不調だったが、それでも、夏前よりは体調はまし。今年の6月7月あたりは本当にきつかった。さらに言えば、2年前の冬から考えたら雲泥の差だけど。とりあえず、悪いときのやり過ごし方がわかっただけでも、だいぶまし。

 

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疲れているとき、調子が悪いとき、私は誰かに意地悪をしていないだろうか。偉そうにしていないだろうか。いやきっとしているだろう。そう考えると、どこにも行かないで誰とも話さないこと以外に、良い方法が浮かばないと思うことがある。

 

疲れていると人は自分に優しく在ることができないと思う。だから疲れてはいけない。疲れていると少し感じたら、何事にも先んじて、「少し」休まなくてはいけない。ずっと休んではいけない。少し休んで、また少し進めるのである。それは、私が良い仕事を重ねていくために欠かせないことではないかと思っている。