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昼間行った場所に本棚があって、たまたま見つけて読んだ本のことが引っかかって、少々具合が悪くなっている。

ポリアモリー 複数の愛を生きる (平凡社新書)

ポリアモリー 複数の愛を生きる (平凡社新書)

 

 

われわれは普段、“一対一”という恋愛スタイルを疑問に思わず生きている。だが、それは絶対的なものではないかもしれない。本気で複数のひとを愛するとい うライフスタイル「ポリアモリー(複数愛)」を生きるひとびとが増えているのだ―。不倫と浮気とも違う、“誠実”な愛のかたちを紹介する。

 

先日、旧友と話していて感じたもやもやが、本書を読み再燃した。本命が居て2番手・3番手以降があるという関係を私はあまり理解できなくて、実は不倫も浮気も理解できていなくて。きちんと、毎回惹かれて向き合っていく、それぞれと誠実に付き合っていくという関係は成立しないものかと思っていた。だから、私には「ポリアモリー」は一見、しっくり来るように思った。しかし、読み進むと、ポリアモリーの人々は相互の関係をかなりはっきり開示するらしく、それが信頼関係の基盤というような書かれ方がしてあった。でも、誰と誰と誰が交際していると関係・行為を開示することが信頼につながるとは思えず、そこはあまりピンとこなかった。そもそも、ポリは自明、ということでは進めないのか。

 

多分、私の知っている事例だとこれもポリアモリーだと思う。

レズと七人の彼女たち(1)

レズと七人の彼女たち(1)

 

 

私には、こどもの頃から、厄介な悩みがある。

とある2児の母が、「息子(弟)と娘(姉)のどちらが可愛いと思うかと言われたら息子である」と言う話を、小学生の頃にうっかり聞いてしまったことがあって(なぜ聞いてしまったかと言えばそれは、いつも余計なことばかりする私の母のせいだ)、その時、私は非常に複雑な気持ちになった。

2人の人間が居たらそこに順番が発生するのかとか、愛情には順番があるのかとか、そういうことを考えた。以来、その手のことに大変敏感で、究極のところ、誰かを選ぶことは誰かを選ばないことだということを恐れている。だから、人を好きだと思うことが、他の人を好きではないと思うことにならないように振る舞いたいと常に思う。

 

別な話として、船が遭難したとき誰を救命ボートに乗せるかみたいな喩え話も、私は苦手だ。

 

ポリアモリーは、結局、複数ではあれど選んでいる関係なので、やはりそこには順位性があるような気がして、私には腑に落ちない。

そもそも、こどもを愛する親の気持ちと、パートナーを愛する気持ちにどのような差分があるのか、前者は複数にもたらされることがあるのに、後者はなぜモノであることが一般的なのか。

 

結局、目の前に居る人を都度都度大切にしていくことしか、私には出来そうにない。しかし、現代では、「目の前に居る」の概念が変化しつつあり、パラレルワールドが実現しているのだ。ポリアモリーよりも、パラレルアモリーの方が、しっくりくる。

そこに居る私さえも、相手との関係で初めて生かされている存在だから。