逆境上等

今日は、地域の方とミーティングをしました。

 

この夏、大型公募に落選しました。残念でしたが、力不足でした。そのため、今後実践・研究をどのように進めていくかというご相談を地域の方とするという内容でした。しかしながら、地域の方々が、資金に頼らず何ができるかを主体的・自律的にいろいろ考えていてくださったのが本当に嬉しかったです。使用できそうなスペースをリストアップしてくださったり、どんな活動を今後継続したいか眠らずリストを作ってくれていたり。

 

「先生を離さない、離したくないって会ってちゃんと伝えたくって」という熱い言葉や、「先生と出会って本当にいろんなことが変わった」とか、「楽しい、もっと学びたい。刺激を受けたい。授業に出て楽しかった。」と言ってくださる人生の諸先輩方(高齢者の皆様)に、私は、ただただ、自分は生かされているなあと思うのでした。

 

私自身が、死ぬまで学び続けることは可能なのか?という命題に向かって、そしてそれを実現しうる社会について考えたくて研究をしているわけですが、既に目の前にいる年配の皆様方は、目をキラキラさせながら、研究会をしたい、私達でも研究会ができるだろうかと言ってくださる。もちろん、私は、自分が世界中で今まで学んできたこと、考えてきたことを、少しも惜しむことなく、目の前の方々に伝えたいと思うのです。

 

こちらも様々な、現状でできる案を持って行ったのですが、先方のノートがびっちり書き込まれていて熱意に感銘を受けました。この人たちと私は何ができるのか、きちんと考えていきたいと、改めて気持ちを固めるのでした。

 

熟達化研究をやってわかったこととしてちょっとおもしろいのですが、持続可能なsystemというのは、ボスが熱を出して来なかったとか、メンバーが倒れたとか、急に離脱者が出たとか、そういう時にぎゅぎゅっと結束する事例が多々あります。

そういう意味で、大型公募落選は、良い起爆剤になるだろうとは踏んでいました。人間というのはピンチに強くできているのです。

私たちは、これからが本当の、スタートです。私の仮説であり、シナリオです。