一人でいるの好きなんだけど

境界線が難しい問題っていうがある。

一人呑みしている人が誘い待ち、っていう誤解があるなら、困ったことだ。

1人で居酒屋に座って飲んだらアウトっていうなら、女性が行ける場所もできる行動もすごく制約されると思う。私は1人でいるのが結構好きなので、どこでも気にせず1人で行くし、そういうときは、ほっといてもらっていい。

 

居酒屋だと隣の人が、調味料とってとか言って話しかけてくることがある。それで次には「よく来るの?」みたいな流れになって、まあそこそこ、みたいに返すと、「職業は?」とかなって、だいたい私は「言いたくないのですみません」って返すわけだ(職業なんて言ったら高学歴嫌悪されるか職業萌えされるのがオチ)。そうすると、「え、会社員?仕事帰り?教えてくれないと余計気になるなあ。」とかなって、相手が名刺を出してきて、自分の仕事を名乗り出す。そこそこ自分に自信がある人は名刺を出してくる。私は、名刺っていくらでも偽造できるというのもわかるし、飲んだ席での店の人以外との名刺はいろいろ差っ引かなくてはいけないと思っているけれど。

 

こんな流れは日常的にあって、嫌だなと思ったときは仲の良い女性の店員さんに目配せすることにしている。この前は適当に微笑んで、「ああそうですかここ来るんですねー。」みたいなことを言った後、足に手が当たった?と思った。当たった?ん?自意識過剰かなと思ったら、また同じことがあったので、これは触ってきているんだなと思ったので、飲み物4分の3残っていても、すぐ席を立った。「また誘わせてください!」とすごく言われたけれど、たいした会話もしていないのでまた会う必要もない。あの店は美味しいのに、また会ったら面倒だと思うとしばらく立ち寄れないなあと思って溜息が出る。

 

結局、飲み屋で触られた場合に思うのは、こっちに触らせる隙があったということなのか、そうなんだな?ということ。戸締まりして盗まれないようにしなさいっていうことに近い感覚。指輪を見せつけるとか、待ち合わせですと嘘をつくとかすればよかったんだろうか。

 

でも、待って。ずっと親しくしていても触らない人は触らないわけで、飲み屋だから隣の人に触っていいわけはないし(知らないから即物的に触るのだろうか)、笑顔で返されたら触ってOKってことにはならんだろう。良い年をした大人がそういうこともわからないということは、その会社は大変そうだなーとか思うわけだ。こういうことは、ほんの一端でしかなくて、何かをされたとき、あー、嫌だなあ、と思っても黙っているところが私にはあって。そういうところ直さなきゃいけないんだよなと思いつつ。結局自戒の方に入って滅入る。

2つで1つ

最近、忙しかった。

学校の行事があったので単純作業の楽しさを感じた。実は単純作業は嫌いじゃない。頭を空っぽにして没頭することが爽快だから。誰よりもスピーディーに作業を完遂する、みたいなことが昔から好きだ。中学のときは印刷した資料を全校生徒分綴るという作業が好きだった。

 

でも、作業の合間には新しい原稿を書き、原稿を校正し、試験問題をつくり、会議の回答書を書いていた。新しい企画も考えていた。そして、ジムも行ったし映画も見たし、barも行ったし、漫画も読んだ。今日17時までの原稿締切は飛ばしてしまうんじゃないかと昨夜は思っていたが、いろいろやりくりしてさっき出した。

 

いろいろなことが混ざり合い、2つで1つになっている。そんな気がした。

私が単純作業を案外好むのは、単純作業には熟達化プロセスが詰まっており、知的活動に転換できとてもおもしろいからだと思う。作業を通じて、良いリフレクションができることを実感している。

 

1個の殻に2個の卵が入っている、必ず入っているという不思議な卵をもらった。確かに、他の卵より殻が大きい。

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すれ違う一日

自分で持ち込み話をまとめたワークショップを今度の火曜日に開催する。その準備を詰めていた。

今回、これまで私のプロジェクトを支えてきてくれたとある若いワークショップ実践者をいろいろな人に紹介しようと、アシスタントがてらトークする時間も盛り込んで!と思い企画し、誘った。彼を売り込むチャンスだと思っていた。

 

しかし、今日になってその相手に、今は自分にしかできない業務を優先しているのでアシスタント業務はできない、と言われてしまった。ロジスティックもメールで共有していたし、スタッフ業務があることが伝わっていなかったのは何故だろう、完全に認識がずれていたんだろうなあと思い、よく見るとMTG議事録に「登壇」と記載されていた。これが諸悪の根源だったかと思った。登壇とは。そもそもワークショップには「壇」なんてない。

 

その議事録を私は丁寧に確認し、書いた新参者にそう伝えるべきだった。意思疎通のミスだ、それに関しては大いに反省する。だから、勿論、詫びた。

 

しかし、彼とのそのあとのやりとりに違和感を覚えた。だから今後仕事をすることを辞めることにした。しばらくなのか、ずっとなのかわからない。でも、そういう判断をしなければならなくなったのは残念だ。

 

こういうことは以前にも何回かある。自分は一人前になってきた、いやなりたいのだと思うあまり、新参者やアルバイトと同じ業務はできないと、それは私に期待しないでくれと経験者に言われること。

実はその辺のところ(よくできる初任者、あるいは中堅になる始めところ)は踏ん張りどきで。新参者でもだいたいできるってことを、初任者後期は完璧に素早くできるってこと、それこそが信頼であり実力なのであって、そこを固めていってこそのオリジナリティだし、あなたにしかできない仕事なのだと私は思う。物品の用意や運搬を、活動のデザインと同じように考えられないひとは足元を救われる。だからその時期にはトラブルやコミュニティからの離脱がよく起きる。

 

やりとりに後味悪さを覚え、気分がすぐれないなか、今日は美容院に行った。

 

今日は切らずにメンテナンスだったのだけれど、新しい人が髪を乾かしている際、ちょっと髪がかかって不快な顔を私がした。それをすぐに見て、担当者が声をかけてくれた。ああ、よく観ているんだなあと思った。そういう作業に、返答に、いろんな気持ちみたいなのが溶け出していくときがあって。

 

だめなときは一周待った方がいいんだろう。

若さゆえの焦りかもしれない。プライドかもしれない。

 

ただただ、私の中には、嫌な気持ちと残念な気持ちが入り混じり、でもそれを引きずるわけにはいかないので、切り捨ててまた新しい一日を過ごしていくことにした。

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彼岸/此岸

空港に着いた。明日までにやらねばならないことがあるのだが、その前に覚えているうちにと言い訳して書いている。

 

日常と非日常の境目をさまようのが旅だと説明して、あなたはわかってくれるだろうか。私にとっての非日常である土地で、誰かがしっかりと日常を送っていたり、はたまたいつもの服、いつもの習慣、いつものインターネットであれば、知らない寝床すら日常になってしまったり。異/同というのは案外、錯覚のようなところがある。

 

仕事帰り、尾道から船で百島に渡り、旧中学校跡をアートサイトにリノベーションしたものを観てきた。作品も面白いけれど、そこに行く道すがら起きたことや周りの環境がその経験をより一層趣き深く成立させていた。

artbasemomoshima.jp

自分の通ったわけではない中学校ではあるが、そこはやはり、昭和に建てられた中学校というフォームをしているので、ノスタルジックな気分になるに時間はかからなかった。3階に上がると、外を見渡せる場所があって、そこで昼ごはんを食べた。中学の屋上でパンをかじったのと同じようでいて少し違う。ワインがあるしそこには海がある。昔ならできなかったことが実現している。

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尾道行きフェリーに乗り込むお坊さんが、フェリーで百島に戻ってくる人に、おかえりなさいと言いながら船に乗り込んでいった。あっちの世界とこっちの世界、彼はいろんな世界を行き来しているのだろうなと思った。

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贈り物

贈り物というのは、思いついた時にひょいっとするのがかっこいいものなので、なんとかの日みたいなのは野暮だなあと思う。

しかし、全くやらないよりも「日」にやった方がいいという概念もあって、だからこの世にはいろんな「日」が設定されている。

 

金曜日の夜に「はいっ」て折り紙で作った花を渡されて、「ん?」ってあまり応じなかったらふてくされた息子が。2日早い、母の日のカーネーションだったらしい。よく見ると結構凝ったデザインになっていて、こんなの器用にやるなあと思う。

 

先週くらいから、母の日に何を贈るかなあと考えていた。多分、この数年は母に、誕生日も母の日も何もしてこなかった。忘れていたわけではなく、余裕がない半分、意図してしたくないのでしていない半分。

 

まあ、いろいろ思うところはあれど、あと何年できるかわからないしなと思い直し、消え物かつ彼女のブログ映えしそうなものを探した。衣類・雑貨にこだわりあり、山程物を持っているのを知っているので、そういう相手に物を贈るのは難しい。

バスタイムのグッズと迷ったが、よく行くレストランの化粧室でみかけるルームフレグランスにした。介護をしているといろいろな匂いを嗅ぐことがあろうかと思う。せめて、香りに癒やされる時間があらんことをと思う。

 

とはいえ、思いついたときにひょっと渡すことの良さに勝ることはなく。どんなに考えたところで、所詮野暮の極みである。

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いつもの木曜日

連休が終わって心底ほっとしている。

 

授業で声を出すと気持ちがすっきりするし、1コマ1コマ終わっていく度に、達成感がある。書物には書物のやりがいがあるのだけれど、行き詰まったり集中できなかったりしても、授業というのはパンクチュアルにやってくる。そして、これがびっくりするほど、疲れていても授業はできる。教室に入ると別のswitchが入るようだ。学生がイレギュラーな反応をしてきても、だいたいチャイムと同時に機材電源を落として撤収できるくらい正確に授業は進む。

 

慣れだろうか。私はここにあと20年通うという現実を受けとめきれないでいる。おそらくそれはありえないことだ。

 

月曜日から木曜日までは授業をしているので、私にとっての週末は木曜日である。金曜日は家族も居ないので自由にスケジュールが立てられる。いわゆる研究日というものだ。土日とつなげて出張に行くもよし、普段まとまってできないことをしてみてもよし。

 

木曜日の5限を終えて研究室に座ると、動きたくなくなる。さっさと帰らないとバスが減るのだが。座りやすい椅子を買ってしまった功罪である。毎週、当たり前のことが当たり前のように起きる。

 

私だってこの10年、何も成長していないよと思った矢先。案外、対社会的にはそうでもなかったのかもしれないと思い直す。

 

先日、Facebookを見ていて、待ち合わせの仕方について書いている女性の記事を見て苦笑した。私はたった10年前は、待ち合わせに1時間、2時間遅れることはざらだった。だから待ち合わせ場所は室内である必要があった。行かないこともよくあった。人が待っているという状態に気が滅入ることもよくあって、それで行けなくなってしまう日があった。

 

この記事思い出した。懐かしい。

mimicocco.hatenablog.com

 

今は待ち合わせをすることの面白さと体験の多層性に気づいてしまった。

端的に言えば、大事でない相手は室内で待ち合わせたいし、大事な相手は屋内屋外問わない。自分から捕まえたい。

待ち合わせを駅とかモニュメントの前でするというのは大変良くて、それは緊張感につながる。雑踏の中で相手を見つけ出したときの喜びを知っている人からすると、効率的で快適な待ち合わせは記憶に残ることはない事務的なものかもしれない。

 

そんなどうでもいいことを考えながら、あと1時間半、バスやら電車やら揺られて帰宅するのを引き延ばしている。

 

初期のEduce Cafeの写真を見つけた。2007年である。

他界された北沢猛先生が写っている。私の本質はこの当時から特に変わっていない。フィールドに通って会いたい人を捕まえた、そういう記憶。

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blog.iii.u-tokyo.ac.jp

苦しみは続く

博士課程に行くとか、研究者になるとかいうのは、苦しみの連続だ。

かっこいいとか憧れるとかそんなものでもないよなあという気がする。

(勿論、知的な苦しみではあるので、部外者からすれば苦しんでいる姿がかっこいいということはありうる。)

とりあえず研究者、なんていう選択は勧めない。

とりあえず大学教員、なら話は別だ。たぶん、研究者と大学教員は違う仕事だから。

 

最近、研究時間が十分に確保できないという物理的問題だけではなく、どのくらい時間をかければできるのか見通しがつかないときがある。そういうときはできるところから作業して進めて、突破口を探すしかない。

 

博士号をとると、何かその先の見通しがよくなり自信もつくのかと思っていた。確かに博士論文の内容をアウトプットしているあたりは、特に問題はなかった。しかしその後、研究をしていくとなると、自分に確固たるディシプリンなんて身についていないのではないかという不安が襲ってきた。

 

不安というよりもある意味それは現実で、研究室や院組織を出てしまってから、研究が行き着く場所は大海で、同じ学会の中で議論し続けていても、それはアカデミアでどのように位置づくのかさっぱりわからないよと言われてしまうことは多々あるのである。もっとも、確固たる領域とその領域区分が明確、かつ他分野と交わりを持たない、巨大な業界ではこの感じが無いのかもしれない。

 

しかし、私が関わっている人文社会学的なもの、そして学際研究と言われているもの、最先端課題と言われているもの、これらに関しては異種格闘技である。別分野の人にどのように理解できるよう語れるかであるとか、別分野の人にどのように必要とされるかとか、そういった部分で、まだまだ、インプットが必要だし、わからないことだらけなのである。

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