猫のこと

膝の上で猫が寝始め、動けなくなったときのことを思い出していた。小学生の頃から猫を飼っていた。

 

動けなくなっていることを口実に、自分も動きたくない。そんな、穏やかな昼下がりを過ごす。あれは、絶妙に、良い時間だ。

この世がこのまま終わるなら、どれだけ穏やかだろう。

大切な人を嫌いにならないために

この件について考えるのは、そろそろ今日を境に終わりにしたい、とか思っている。書いてしまえばすっきりするかなと。

 

セクシュアルハラスメントを受けた際、私の場合しんどいのは、それを相談した、あるいは告白した相手に黙られることかもなと思った。はっきり怒りを覚えるのではなく、じわりじわりとくる、信頼の瓦解が、一番きつい。

 

ハラスメント というのは誰も幸せになれない話で、聞いた人すら辛く、悲しく、やるせない気持ちになったり、あるいは対応に頭を抱えたりするものだと思う。

 

私自身、人生に曇り無しと言えるわけでは毛頭無く、反省すること、あのときああしていればと思うこともある。

 

もし身近な人がセクシュアルハラスメント について打ち明けてきたら、それはその発言だけでも沢山の迷いと鬱屈の後に、振り絞ってなされたものだと思うので、黙って流さないでほしいと思う。大変だったね、でもいい。おつかれさまでもいい。立場がある人は返す言葉が難しいのはわかる。でも、言い分があることはわかった、くらいでも、無視されるよりはマシだ。

 

私は他人の悩みを聴けるほど優しくはないけれど、おつかれさま、頑張ったね、と言える強さは持てる人になりたい。

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何が駄目なのか

久しぶりに、まずっ!と思うものを食べた。5月限定とあり、写真に惹かれて食べたが、食べ切れなかった。

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実は、隣の席の人も同じものを頼んでいて、私より少し早く、料理が来た。そして、彼も3分の1くらい残ったところから食べ進まず、何度か視線を感じた。彼も残して帰っていった。

 

なんだか、1日がうーん、という感じになってしまったので、またしばらく、外食したくなくなった。

 

さて、あの美味しくなさは、何処からきたものか。何一つ、美味しい要素が感じられなかった。あるいは、不協和音的なものか。

 

記憶について

だいぶ、「考えないで」いられるようになった。忘れたわけではないけれど、「忘れたふり」ができるようになった。

 

男性は〜、女性は〜、という言い方はつまらないと思う。私の場合、以前親しかったからと言って、それをあまり覚えていられない。だから、改めて、関係を始めていく感じに近い。

関係が人工的にでも継続されず「お久しぶり」という場合、関係が冷凍保存しておくのは難しい。断片的な記憶はあるものの、あらかた忘れてしまう。だから、写真とかこんな日記とかが、手がかりになる。

 

私が衝動的で刹那的な思考になってしまいがちなのは、脳の機能の問題からくるものもある。記憶が妙に鮮明な映像的なもの、固有名詞が覚えられないのと。こういったことを今では、それを、計画的思考をもって、制御しようとしているのである。

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専門とはなにか

私の場合。

大学に勤めていると、なにかと、教育関係の課題を「あなた専門でしょ」と言われる。教育全般に通じているはずはなくおそろしい話だが、確かに、あなた方よりは知ってることはありますかね、という体でやる。しかし、もっともっと専門の人がいたら、恥ずかしくて穴に入りたいレベルである。だからこそ、「真の専門性」と課題とがどこかでリンクしないか頑張って考えるし、求められたことをひっそり、あるいはあからさまに、自学する。

 

昔、アルバイトでは、「あなたパソコン関係わかる人でしょ」と言われて困ったことがある。私の在籍していた大学院の名称に「情報」と入っていたからだ。仕方なくやっていたが私なんか全然わからない人だから、できることは知れていた。しかし、今となっては、悪くない思い出である。

 

専門というのはマジックワードである。

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幸せはつくれる

今日は、ずっと家に居て、雨の音を聴いていた。

 

どうしたら人は苛立ちにくくなるのか調べていた。

 

オキシトシンというホルモンが良いらしい。いわゆるハグとかスキンシップとかに代表される行為で、幸せを感じるホルモンが出るそうだ。

しかし、誰とでもハグやスキンシップできない場合、哺乳類と触れ合う、人のためになにかをする、自己開示する、でも良いと書いてあった。

 

行動と心はリンクしているので、幸せになれるような行動をすれば幸せに感じる、みたいなのがある。最初は意識してでも、オキシトシンが出ることを沢山やると穏やかになれそうだ。苛立ちを覚えたり、悲しかったりする人にも、そういう行動から入るのもありだと思う。

 

私は、息子に料理を作っておいてでることで多分幸せを感じていた。他にも、暮らした相手には大抵、食事を作っていた。大学時代は経験なし、適切なレシピより上のものを見て、よく失敗していた。一口電気コンロが使い勝手悪いことには、19才、住んで初めて気づいた。

 

今は、身の丈にあったことを、完璧主義になりすぎずにやっている。

 

幸せになることも、上手くなったような気がする。

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