煙草について。
煙草を吸っている人が嫌、というつもりはないのだけれど、咳が出てしまうという問題がある。頭もちょっと痛くなる。
香水も似ている。
くしゃみが止まらなくなる。
過敏になってしまったので悩ましい。出かけられない場所が増えてしまったのは残念。
煙草について。
煙草を吸っている人が嫌、というつもりはないのだけれど、咳が出てしまうという問題がある。頭もちょっと痛くなる。
香水も似ている。
くしゃみが止まらなくなる。
過敏になってしまったので悩ましい。出かけられない場所が増えてしまったのは残念。
一応、解決はしていくのだけれど(というか強制的にしていくことになる)
少し段取りが良くない感じのことが続いた(だから今日はもう既に疲れていた。今日、またすごく疲れた。明日で回復したい。)
まあ、一人で生きているわけではないので、当然すれ違いが起きる。そういうとき、あ、私が理解できないのが悪いかな、とか、なにか見落としたかな、と思ってしまう。まあ、そう思っておけば間違いないというか。
でも疲れた。
どうしてこんなに疲れることをわざわざやっているのだろう、とは思う。
好きでやっている。
すごいいいことがあったので、これから生活がだいぶ幸せになれそう。
連休明けてめちゃくちゃ忙しい。
とにかく動かないと。
わりと現金な話で、ちょっとつらいことを書いたり話したりしておけると、すっとする。
すっとした。ありがとう。
どうせだめなんだよなあ… という気持ちのまま生きているところがあって。
だめであったほうが都合がいい、みたいな生存戦略を取りがち。蔑まれている方が楽に生きられる気がしてしまう。だって、生まれたときからその存在が蔑まれる側にあるわけなので。こういうのがジェンダー論の真の敵なんでしょうね。でも、女性だからだけではなく、東京に生まれたとか、気質の問題とか、もう既にハンディキャップとしてカウントするとキリがないっていうか。そう捉えないのが大事!って高らかに言うのは勝手だけれど、実際にはいくつもの困りごとの中で暮らしているわけであって、仕事が手に入っても今でも、「運がよかっただけ」「ずるい」「中身がない」と思われているんだと鬱々する。それでも、そういう声があったとしても、仕事を失うことはやっぱりできなくて、それは家族がいるからっていうのもあるけれど、アイデンティティというか。生きていることができなくなってしまう気がする。
生きている限り、自転車操業みたいになってしまうのかしら。
よくないことばかり考えるのは、余計いろいろよくないというのもわかっていて。できることは認めてできないことは励ましてみたいな関係の人と付き合っていけるといいんだけれど、なかなか、人と人との闇というのはそういうことを赦してくれない。気晴らしをしては、闇に戻っている感じもある。