変えたいのか変わりたいのか

私は「世の中を変えたい」と思ったことが無い。

私は、私の在るべき道を進むことに専心したいので、世の中というものを後回しにしているのかもしれない。

 

「日本を変えたい」というチラシを持って研究室に現れた学生達のことを今でも覚えている。自分が大学院博士課程だったときだ。学生達はこのあとどこに行くのか、何をするのかと思った。今でも興味があり、ずっと彼らを見ている。

 

私にも、変えたいこと、あるいは、変えられることがあったかもしれない。でも、私はハンドリングできるサイズの課題しか語ろうとしない。若者なら大志を抱けと、思っていない。

 

ただ、私は無気力なんじゃない。戦略なきエネルギーは、空回りすると思っているのだ。そして、戦略なきエネルギーは、「社会」に搾取されがちだとも思っている。課題は分割して語られる方がいい。

 

私は変えたいという気持ちが薄い一方、変わらねばならないという認識は強く持っている。なぜならば、変わらないと他人には、止まって、いや、遅延して見えるからだ。

私は走っていないと進んで見えないのだ。他人を変えている余裕なんて、私には無い。