カタルシス

息子も高校進学を考える年頃になった。

早いもので、などとは言わない。とてつもなく長い長い道のりだったし、いろいろなことがあった。

 

小学校、中学校、高校。私は学校と名のつくところに嫌な気持ちがあり、今の仕事をしていてもその感情とどう折り合いつけるか必死だ。そもそもなぜ学校が嫌いだったのか、嫌いだったけれど通い卒業したのか。このことも含め、向き合わない方が楽である。

 

しかし、子供を育てるということは、そうした、自分の蓋をしてきたものを「開ける」部分が少なからずある。以前にもここで似たようなことを書いたが、子育てに辛いことがあったとしたら、その多くの要素は「学校との関わり」だった。

保護者として再び、「学校に行く」必要ができたことは、私が如何に学校が嫌いだったのかを思い起こさせる引き金となった。加えて、当時は、当たり前のこと、として気持ちを押し殺せたものに対しても、素朴な疑問や静かな怒りを感じることを止められなかった。

だから、息子が学校に行けなくなったことを、特段、妙なことには思えなかった。歓迎もしなかったけれど、ある意味、彼の頑なさが私にはなかったのかもしれないし、私は「できすぎ」で器用で腹黒かったのかなと思う。

 

とにかく、卒業してしまえばいい、そうやってクリアしてかないと、人生は自分のものにはならないのだと思っていた。そういう呪いにかかっていたのだろう。

 

自分が中学2年のとき、初めての進路相談で恐る恐る、担任に進学したいと思っていると口に出した高校に、今日息子と初めて行った。それは都内で初めての単位制高校で、無学年制の高校である。定時制なので朝のラッシュで痴漢にあう心配もなかったし、クラスという概念の中で人間関係に不安を抱く必要もないという高校だった。私が中学の頃は、まだ出来たてだったその高校に、息子の志望校として見学に行くことになるとは、想像はしていなかった。

 

自分の中学の進路相談では、「うちからそこに行った学生はいない」という理由で、却下された。もちろん、粘ればよかったのだと思うが、「あなたの成績でそこを目指す必要はない」と言われ、引き下がってしまった。それから、順当と言われる高校に進学したが、1年ほどで、朝からは通えなくなった。

 

学校説明会で、「本校は高い感受性と深掘りする思索を持った学生の多いことが特徴」で、心のコップから水が溢れ出さないようなケアを教師が協力して行っているという話を聴いて、思わず10代の頃を思い出し、涙で目頭が熱くなったことを告白する。それを、息子に悟られることはなかったはずで、話すことも無いと思う。

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