クリームパン論争

最近、イタリアばかりだったなという内省をした結果、今月はビストロにも行こうと思います。

 

Bourgogneのワインは美味しい、これはもう、自分の中でしっかりと認識していることであり、だからといって、それを飲み続けるのかと。普通、ここでそれでいいって思う人もいるんですよね。でも、私は、世の中にはもっと、何か面白いものがあるんじゃないか、新しいものがあるんじゃないか。そういうことを常に考えてしまうのです。例えば、日本でワインの試験を受けると、イタリアは出題の1割程度、圧倒的にフランスワインが日本における「ワイン」を牛耳っている感があります。でも、世界におけるワインの生産量の比率は、この出題比率とは全く違います。評価されているのがフランスワイン?実は、評価というのは先人が作っていくものであり、そこに落とし穴があります。そういうことに疑問を持ってしまった結果が、今の私です。あっちに行ったり、また戻ったり。

 

さて、表題ですが、私が大学院生のとき、飲み会で先輩と、ある「論争」をしたことがあります。当時のゼミ生はもう周りに居ないので知っている人はいないかもしれませんが、「何故君は同じコンビニで同じクリームパンを買い続けるのか?」という話です。

研究室の近くには複数のコンビニ、複数のパンを売る店があるのに、そのクリームパンを試さずに、最も近いコンビニで、この前食べて好きだったクリームパンを買い続ける。こういう人が当時は全く理解できなかった。だから、何故、もっと探さないのか?と糾弾したことがあります。

 

極めて合理的で効率的に、自分の嗜好にあった食べ物を手にする、それはすごく賢いのです。でも、私にはこのような賢さがありません。

今は、心が広くなったので、そういう生き方も理解できます。そもそも昼御飯にも食べることにも関心がさほどない、あるいはコストを割きたくない人がいることも知りました。そして、人生のプライオリティは人それぞれだと思っています。

 

その上で、私は、新しいものと触れる割合と、従来の嗜好を確認する割合をコントロールしておくために、記録をつけておこうと思っているのです。

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