終身雇用に思うこと

テニュアという言葉は、大学院に行ってから知った。大学等の高等教育における教職員の終身雇用資格の意味らしい。

私は、大学院に行くまで、定年が関係ある仕事に就くことを考えたことがなかった。自営業も、作家も、芸術家も、政治家も、定年って多分なくて、自分でここまでって思って仕事を終える・辞める世界だと思う。だから、会社員になるイメージを持っていなかった私は、昨日、「定年**歳とする」っていう辞令をもらったとき、すごく遠いところに来てしまったという気持ちになった。

 

そもそも、公募に出したのは助教だったのに、「採用しようと思うんだけれどいろいろあって助教ではなく講師でどうですか」と言われ、「はい、喜んで」ということで講師になった。3年勤務するとテニュアになることになっている、だいたいの人は、とは言われていたけれど、物騒な話もよく聞いたし、実際、さよならになっていく人も周囲にいて理由は聞けなかったので、はっきり、「パーマネントの審査をするので書類一式だしてください」と言われるまでは不安だった。それが昨年の11月だったか。

 

私は他の人と違い9月着任だったので、3年働いて今年度の秋からパーマネントかなと思っていたのだけれど、辞令交付式に来てくださいという手紙をもらったとき、もしかしてこれは所属が変わる以外のお知らせも入っている?と予感した。でも、所属長や事務方に聞いても、わからないと言われ、行ってみたらわかるからいいかと思った。(こういうのがクリアじゃないところが、いかにも大学の人事っぽい。)

 

で、行ってみて、着任から2年半にして、晴れて4月からテニュアになっていた。自分が思った以上に、おめでとうと言われ、そうかこれはすごくめでたいのかと思った。

 

めでたい。それが何を意味することなのか、就活しなくていいってことだからいいことなのか。働きやすい環境だし、しばらくここで、この地域でやっていきたいという気持ちを新たにする一方で、定年ってすごく先だし、一方で定年ってこんなに若いんじゃその後があるじゃないと。つまり、終身雇用ってなんだろう?全然、終身じゃない気がする、という。

 

やはり、このままだと定年後なのか定年少し前からなのか、全く別の仕事をしていく計画を、着々と進めるという感じ。力つけていかないと。身が引き締まる想い。

 

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草間彌生明日咲く花」「真夜中に咲く花」】