乗り越えて

科研費の書類申請×2を終えた。ほっと一息つけるということもなく、まだ修正可能期間ということで、引き続き推敲することになりそうだ。また他が押してしまう。

明日は2つ授業があって、その後、事務方から来た書類修正をひたすらやった後、英会話がある。その後は、近郊から東京に来る知人と会う予定だ。

ということで、明日も予定が詰まっている。料理がしたいのだが、どうやらそういう時間がとれるかどうか。朝ごはんをつくる時間に起きるかどうか。

 

ーー

こんな生活をしている。

先のエントリーを読んで、大変だったんだねという感じで、共感してくれたり励ましてくれたりする人がいて、こんなにレアなジョブに身勝手に飛び込んでいるのに、と、びっくりした。もしかしたら研究職ではなくても、女性には似たような辛さがあるのかもしれない。

harinezumi.hatenablog.com

心配をかけたかもしれないと思ったので、この日記を書いている。

過去のことをさらっと書けたのは、今とても幸せだからだと思う。

 

本当に辛かったときには、ぐうのねも出なかったというか、文字に起こす余裕なんて無かった。常に右手首から鎖骨にかけての神経痛に悩まされていたし。今は全く痛くならないのが不思議なくらいだ。

 

どのようにして切り抜けていく6年間だったか。いろいろなティップスがあったようにも思う。(これについても整理して記事を書けば、もしかしたら後進の方の役に立つかもしれない、ディスカッションできるようなワークショップをしてもいいかもしれない。)

 

私が復活していった6年間には、精神的に支えてくれた異分野の研究者の存在が大きかった。

 

それは2パタンあって、1パタンは、博論を書いている人。私は同期が同時期に書いていなかったので、ちょっとしんどいところがあった。でも、周囲に他研究科で書いている人(理系ばかりだったけれど)があり、そういう人のオンライン・オフラインでの交流は励まされた。私の場合、学会参加は気持ちの上では負担が多く、籠もっていてもコミュニケーションできるインターネットはとてもよかった。実は、同時期に父も博論を書いていたので、それも刺激を受けた。

 

もう1パタンは、博論を書いた後のことで、大海を見ればかっこいい女性研究者がたくさんいて、その存在が励みになった。恐れ多くも、その方々に研究会に来ていただくお願いをする等、少しでもアクセスすることにより、存在を近くに感じることができた。私に限って言えば、ロールモデルは狭義の学術コミュニティ内に見つけることができなかった。似た感じの人が見つからなかった。

 

でも、ロールモデルという考え方には私は懐疑的である。持つならば複数のモデルもしくは複数のメンターがあるといいと考えている。

 

私はその後、戦略的に、複数のモデルやメンターを探し、また、その人達のいいところを学べるよう、近くにいる方法を考えた。私は哲学科出身なので、教育学はアウェイだった。就職してから作っていった人間関係は、スキャフォルドが無い、茨の道だったと思う。

 

覚悟を決めた私には、こわいものは無かったし、もう失うものも無かった。

だから、研究費を獲得するためには頭も下げられるし、面倒な書類も書けた。本来短気な性分だが、研究を継続するためには人間関係を良好にするために抑えなければならない気持ちもあって、それも比較的すんなりできた(と思う)。とにかく、研究を続けると決めた以上、どんな手を使っても研究環境を手に入れ、研究費を獲得し、体調を整え、気力を充実させて進める、ということをやっていった。

 

服装に気遣い、ネイルをし、メイクをし、びしっとやっていくのも、全てはswitchを入れるためである。女性研究者も、お洒落を諦める必要なんて無い。私の場合、美味しいものを食べてお洒落にしていれば気分があがるので、研究はうまくいくのだ。

 

研究生活は長距離走だ。こういう私を支えてくれるのは、研究者もしくは研究に親和性のある職種の人でないと難しかったと思う。繁忙期が理解できたり、考え事をしているときはそっとしておいてくれたり、不調なときは慰めてくれたりする。

 

私は良き人間関係に恵まれ、死から復活できた。

この6年間、傍にいてくれたあなたに、ほんとうに感謝している。

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